2011年2月3日木曜日

The Child's Eyes

貧しいって何だろう?


siaya に来て、自分の目で見て、感じることは、豊かな土地があり、コンクリートで固められた土地が少ないため植物を植えようと思えば、植えられる場所がたくさんあり、わざわざ肥料をためて蒔かなくても、そこらへん糞だらけである。


つまり、たとえ1ヶ月に千円しか稼げなくても食料を手に入れられる環境が十分にある。少なくともシアヤは。


東京のコンクリートジャングルで、一人路頭に迷うより、むしろ生きられる環境があるような気がする。



もっと土地を大事に、今ある資源を大事にといわず、ココは貧困だと言って、お金やモノだけを与えてきたのは誰なのか。


すごいものをいっぱい持っているのに、その能力を押さえつけているのは誰なのか。




色々な期間が発表している、ケニアの貧困率は日本の何倍も高く、シアヤはその中でも貧困率が高い。


それなのにシアヤの中で、それほどひどい状態の人を私はあまり見たことがなかった。


私があまり見ようとしていなかったからなのか、シアヤタウンの近くで、貧しい人が少ない場所だったからなのか、とてもその実態が引っかかったので、今日は一日かけて、シアヤで一番貧しいといわれる地域へ、自転車をかっ飛ばして、自分の目で確かめに行ってみた。


確かに、お店らしいお店はほとんどなく、ほとんどが茅葺屋根と土で作られた電気のない住居だったが、緑が茂ったよいところだった。




それより本日の一人旅で一番気になったのは、コンクリートではない土の道路ばかりなのに、アメリカの支援団体の医療関係の車や日本のトヨタ車がハイスピードで通り過ぎた時のその砂埃。


医療支援のための車ではあるが、そいつによって、道を利用している人、道端で商売をしている人の身体を虫食んでいるなんてね。


この世の中、いろーんな、情報にあふれているし、何が本当なのよく分からんことが多い。

だけどね、やっぱり子どもたちには明るい未来に進んでもらいたい。

死なないでもらいたい。

笑ってもらいたいなぁ~。

ドコを歩いていても、私たちを見て、目を輝かせて近寄ってくる奴ら。

一体、奴らの目は何を見ているんだろう。
大学の時の先生が「何の理屈もなして、感情が動いたら、そこに真の答えがある」といってたけど、

大きくなればなるほど、理屈抜きに感情を感じ取るのが難しくなっている気がする。

彼の目に私たちはどう映ってるんかな。

彼らの嬉しそうな顔を見ていると、
初めて暴れん坊将軍を見た時のことや、田沢湖に夕日の光が差し込むのをスキー場から見て、希望の光だ~~とねぇちゃんと興奮した気持ちや、弟が生まれて初めて対面して「猿じゃん~」って思った気持ちを思い出してしまう。



彼らにとって、明るい未来って何なんだろ~






何なんだろう~





何なんだろう~。
分からないけど、とにかく何かを頑張ってみるしかない私であった。
!完!







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