2011年5月31日火曜日

The 『今考』

ケニアに着てから、もうすぐ一年~ということで、中間報告やレポートに追われている。

ケニアに来たのが、昨日のことのようである。

時がたつのが驚くほど早く感じる。

こないだ植えていたとうもろこしが、今日もう収穫できそうなぐらい成長していて、成長はえ~な~と思ったが、よくよく考えたらこないだとは3ヶ月前のことだった。

恐るべし。



日はどんどん過ぎているのに、何の達成感も、自分の成長も感じられない。何一つやっていない気がする。

唯一成長したとすれば、ハエ殺し率。
停電中でも、寝起きでも、ハエの音がした瞬間、視界に入った瞬間に手をたたく、瞬発力だけは自信を持って成長したと胸を張れる。



報告書を作成中、書くことに行き詰ったので、ふと協力隊に合格したときにもらった、ボランティア要請書(配属先の状況や要請理由、ボランティアに期待することなどが書かれている)をあらためて見てみた。

赴任前、全然ピンとこなかった内容が、今ではすらすら理解できる。

また、そこに書かれた多数の期待される具体的な業務の内容を私はこの一年間で、すべてトライしていたことが発覚した。

ケニアに来て、日々、考えさせられることの連続である。

今やっていることが、本当にベストな道か、ニーズにこたえられているのか、私にできること、今いえることはなんなのか、今でも立ち止まってばかりの毎日だけど、

期待されていた業務しっかりやってたんじゃん~!私~!
なんだかへんな喜びがあった。


やるべきことはやっていた!と思い込み、あと一年へっへと(「思い切って」の意 by 秋田弁)好き勝手、シアヤでやりたいことをやってみようと思えた今日だった。







それから、最近ユースの子たちと話をしていて、ふと気がついた。

今までの人生で、今ほど、自分の考えを誰かにぶつけたり、人を知ろうとしたり、人の未来について深く考えたことがあっただろうかということ。

それは、遠まわしの言い方をするほどの語学力がなく、ストレートな表現しかできないからでもあるけど。

人の考えを理解すること、人の心を動かすこと、分かり合うということ、自分の道に対して答えを出すことは、とても難しい。

でも、尊敬すべき師匠が言っていた、「心の通った対話こそ平和へ第一歩である」と。

私に助言できることや、支援することなんで何にもない。
ただ、今縁あって目の前にいる彼らと、失敗しながら、ぶつかりながらも、共に考え共に成長しようと思う。

彼らを励まし、彼らと共にシアヤの未来のために戦うことは、自分を励まし、自分の未来のために戦っているようなものだから。



それが『人』。





0 件のコメント:

コメントを投稿