2011年4月21日木曜日

THE あっこちゃんケニアの旅

のあっこちゃんがケニアにやってきました。

出迎えもできずに、突然インパクトの強いイベントに参加し、その後シアヤにやってきました。

そして、シアヤフルコース。


とにかくとにかく、歩き回り、人、人、人に会い、日本の話をし、日本食を振る舞いまくりました。

ちなみに、そばは大失敗。まさかの、鰹節大人気。




朝一で私の自慢の畑にも行きました~





カレーの肉を調達するために、豚くんの最後も見ました。






もぎたて、ほやほや、焼きたてほやほやのミミガーを食べ損ねました~








嬉しそうに、次の餌食となる豚君をつれてきた、おっちゃんにも会いました~








そんなこんなで、出来上がったカレーを持って、未来のロベルト・バッチオ選手たちのところに行き、カレーをご馳走し、一緒に踊りました。ちなみに、彼らが、GMK(ジョージ・マリ・カトウ)サッカーチームの少年たちです。












姉と二人だと、こんなふざけたこともできます。






突然、シアヤに連れてこられた姉は、どでかいなべを持って、私に振り回されました~




ユースの子たちと共に、村に行き、子どもに取り囲まれたりも、しました~







最後の最後、夜遅くまで、色んなお友だちの家を、訪ねまくり、濃厚な3日間でした~



姉の目に、ケニアは、シアヤはどう映ったのかな~


私なりに、ありのままのケニアを見せたつもりです。


私の、いいな~と思う人、いいな~と思う場所にいったつもりです。


とりあえず、私より英語のしゃべれる姉は、みんなに大人気でした。


姉にとっても、シアヤンにとっても、いいことしたんじゃないの~私~。





姉のケニアの旅は続く・・・・。

2011年4月15日金曜日

The Thanks Day

なんとうっかり二日間も連続、ノーブラで過ごしてしまった。

誰も気がついていないことを祈るばかり。

自分さえ、さっき帰ってきてハッとしたくらいだし。大丈夫か~



ピアエデゥケーターたちのストライキの影響が今だに続き、怒涛の毎日であったが、日本人らしい働きっぷりを存分に背中で語った。


そして、本日は、なんと姉が日本から旅立って来たのだが、その出迎えを蹴ってまで、シアヤで過ごすことを選択した、重要な一日だった。


おかげで、姉は知らない土地に着き、突然、タクシーで初めて会う同期の家まで行き、一泊し、知らない乗りモノに乗り、知らない土地へと移動しそこで初めてかわいい妹に会えるということになる。


申し訳なかったが、その理由は、ユース主体の環境保護と健康というテーマで行われるイベント&男性の健康、特にパートナーや家族に対する意識向上プログラムの最終報告会&調整員の住居セキュリティーチェック、というなんとも私にとって重要と思われる、用事が重なったから。


が!しかし、昨日の夜の時点で、そのうち2つキャンセルが決定。

コレでは、姉や、泊めてもらう同期に顔向けができぬと若干あせったが、


無事に全力で戦った、濃厚な一日となった。清水先輩ありがとう。姉よ、すまぬ。


朝突然、健康教育を担当している保健事務所のエバリンから、学校でのヘルス教育について話し会いをしようと電話をもらい、ユースの子と言ってみると、

そこには、UNICEFのスタッフが・・・・。


UNICEFとは、国連児童基金。


ケニアに来て、日本にいた時興味心身だった名の知れた機関が、シアヤにいたらすぐ隣にいる活動の仲間のような存在である。


田沢湖で、素朴に暮らしていた田舎もんが、頭の斬れるツワモノたちと肩を並べることができるなんて、青年海外協力隊とは、本当によい制度である。ね~蓮訪さん。


が、しかし!自己紹介をしてから、最後ありがとうと言うまで、一切しゃべらなかった。いや、アメリカ人をはじめ、その他のケニア人たちの、発音のよさに圧倒されて、しゃべれなかった。


会議の間、とにかく私に振るな~、質問するな~と心の中で、呪文のように唱えていた。


しかし、どうやら、5月にあるポリオ予防接種キャンペーンに便乗して、学校でのヘルス教育を行えることが決定し、私は、そのコーディネーターとしてコミュニティーグループと学校の間にたって調整するという、重要なポジションに任命されたようだ。私、5月あまりシアヤにいないんだけど、どうしよう。


でも、とりあえず、KENYAでのMy Dreamに一歩前進しました。


清水先輩ありがとう。姉よ、すまぬ。


そしてその後、環境保護と健康のイベントへ。


偉い人、研究者、ユースメンバーから、ケニアの自然、自然と健康などについて話を聞き、いろいろなアイデアあふれる実践活動を見せてもらい、みんなで共に木を植えた。


私のモリンガ活動。



若干、これは私の今やるべきことかな~と不安があったが、今日で、吹っ切れた。


私の使命であると!


カメラを友だちに貸していて、写真を取れなかったのが、残念な限りですが。

最近、つくづく、私の人運のよさを痛感している。


タイミングがばっちり。電話を持っていない人に連絡をとりたいときに道でばったり会ったり、財布を忘れたときにおごってくれる友だちに会ったり、へこんだときに背中を押してくれる人に会ったり。活動を助けるキーパーソンに偶然会ったり。



きっと、父や母、ぴよたん、あっこちゃん、友たちが、祈ってくれているからでしょう。


祈りは通じるんでしょうね。


私やケニアからの祈りも、日本に通じていたらいいけど。




If winter comes,

can spring be far behind?

Now is the time to vigorously sing a song of the springtime of peace.

The deeper the darkness, the closer the down.

Now is the time to sound the bell heralding the dawn of peace with all our might.


There is a path that birds follow as they fly through the sky.

There is a path that fish follow as they swim through the sea.

There is a path that stars follow as they travel the heavens.

And there is a path of principle that human beings should follow.

This is none other that the path of peace.


Let's begin with what we can do.

Let's move forward, even if just an inch.


Do not remain silent.

Speak out courageously.

Pease spreads where voices resound in song.

Peace deepens through friendly dialogue.

Peace endures when we are willing to learn from each other.


Come, let's make our way toward the future.

Let's shake the hand of the person next to us.

Let's look into their eyes and share honest dialogue.


Let's sing a joyous song together.

That's the first great step toward peace.


Let's build a land of peace Let's connect with others who love peace.

Peace

is the brilliant light that humanity seeks.

Peace

is the sure path to a life of true humanity and dignity.


Peace!

Peace!

Here we find the foundation for lasting human happiness and the joy of true human victory.

2011年4月10日日曜日

The お金。

ピアエデュケーターたちのストライキが今だ続き、猛烈に忙しかった一週間。 そのおかげでたまりにたまっていた自分的な仕事を、着々と片付けた本日。 ところで、最近考えていることがある。 ケニアで、約9ヶ月半暮らして、いろいろな人々に出会った。 いろいろな人がいる。適当な人、笑顔が素敵な人、働き者の人、何もしない人、戦う人、お金やモノばかりほしがる人、本当にいろいろな人がいる。 私はすれ違うすべての人にあいさつをするようにしている。それが私にできることの一つだから。 あいさつをすることは、あなたを受け入れているよ~という最初の合図だとだれかが言っていたし。 いろいろな人に会い、納得できないこと、コラ~と思うこともたまにあるけど、私の受け入れ扉はいつも、開いているつもりである。 しかし、どうしても好きにはなれないことがある。 『Give me money! Give me something!』という言葉。 ケニアでは、この言葉を親しみをこめて言ったり、ふざけて言ったり、ちょっと困ったらすぐ言ったり、この言葉を仕事にしてたり、本当に困って言ったり、いたるところでこの言葉が使われる。 子どもから、お年寄りまで。 私は、そういわれて、お金やモノをダダあげるということは一度もしていない。 本当に今私が、何かを上げなければ、死んでしまいそうな、人なら分からないけど。 あいさつ前に、お金をくれしか言えない生き方なんて、悲しすぎる。 見方によれば、それがはっきりいえるのは我慢するより、いいことかもしれないけど。 力のない人なら仕方がないけど、多くのケニアンはすごい力を持っている。 私は、冷たいだろうか。 今日、二人の友だちだと思っているシアヤンから電話がかかってきた。 シアヤン①「携帯が壊れて買いたいから、2000シルくれ!」 シアヤン②「日本からおまえのねえちゃんが来るとき、サッカーのユニフォーム13人分を買って寄付するように言ってくれ!」 ・・・・・・。 私の付き合い方が間違っていたのか、何なのか。 お金を得ることは、そんなに簡単なことではない。 うちの父と母が、630円の弁当を作るまでにどれほどの時間と手間をかけていると思うんだ~。 今、日本の人々も歯を食いしばって頑張っているんだ~。 ちなみに、シアヤン①の青年は、専門学校に行くための学費を、助けてほしいと、涙ながらに語ったくせに、自分は何一つ働きもしない、コラ~と言いたくなくるようなやつである。 でも、私自身も、正直どうすればいいか分からん。 私は、彼らより、多少は裕福かもしれない、少しのお金なら、あげることもできる。でも、一人にあげ始めたら、きりがない。でも、その一人を助けるべきでしょうか。 お金をただ上げるのは好きじゃないとはっきり言うものの、じゃあアドバイスをくれ、じゃあどおすればいいんだといわれて、うまく道を示してやることもできない。仕事をしようにも、働き口が少ない。 私は、ただ、他人事として考えているんでしょうか。 できる限り、人にお金を頼らず必死に働き、自分で状況を変えようとしている人には、逆に何か力になりたいと思ってしまうのは、捻くれているんでしょうか。 未だに出産時の母子死亡率や、5歳以下の子どもの死亡率が高く、HIVの感染率も高いシアヤで、いろんな取り組みがされているけど、お金がなくて病院にこれない人になんていうことができるんでしょうか。 私たちKenya JICAボランティアには、優秀だけど家が貧しくて学費が払えない子どもを支援する奨学金制度がある。 昨日、シアヤから、一時間ほどのところにある高校でPC先生として派遣されているボランティアM氏より、生徒の一人を奨学生として応募したいので担当してほしいと連絡があり、その生徒の家を訪ねた。 その高校は、ケニアでも1、2を争う優秀な男子校。 その生徒モイ君は、小学校3年の年に、お母さんを事故で、お父さんを病気で亡くし、今はおじさんの家族と暮らしている。 道なき道を進むこと30分のところに彼らの家はあり、広ろーい畑はあるものの、乾燥地で野菜がうまく育たないため、本当に少しの野菜ととうもろこしだけを植えている。 収入は、3ヶ月に一回程度で、木を切り炭を作って売ったときに得られる2000シル(約2500円)だけ。 後は、畑で作ったものを食べて暮らしている。 おじさん家族は、10人家族だか、5人学生、5人無職。 今まで、学校に通えていたのが奇跡と思えてしまうくらいである。 神にしっかり祈っていれば、何とかなると話す、ものすごく陽気な家族。 その祈りが神に通じたのかどうかと、奨学生として承認されるかはまだ分からないけど、モイ君は、M先生との出会いによって、チャンスを手にすることができた。 その近くの県病院に派遣されている。通称モリンガーZ先輩。私のモリンガ業の大先輩である。
右のかわいらしい少年は、今のところ引き取ってくれる家族がおらず、病院で暮らしてる。

マラリアで病院に入院する前は、ストリートチルドレンだったそうだ。


今のところ、学校にも行けないけど、



病院で、いろんなことを見ながら、モリンガーZ先輩やいろいろな人に出会い、学校では学べないことを学んでいる。


ものすごく笑顔が素敵で、謙虚な少年である。







どんなに病院の体制を整えても、コミュニティーに医療者が行ってケアできる環境をつくっても、活発なユースグループがあっても、結局ぶち当たるのは、お金の問題。


この問題はエイズの問題と切り離せないんだな~。と思えてならない。そして、宗教も。


この話題の続きはまた今度。

2011年4月7日木曜日

The なんだこりゃ~

本日は、実に4ヶ月ぶりくらいに、病院で朝から晩まで働いた。 理由は、なんと、ストライキ。 お医者さんのような働きをするクリニカルオフィサーと薬剤師以外は、すべてHIV陽性者のピアエデュケーターで成り立っている、うちのセンター。 このたび、援助団体ICAP(International Centre for AIDS Care&Treatment Program)からの給料が払われていないという理由で、ピアエデュケーターたちが、先週の金曜日から、仕事に来ていないのだ。 しかし、そんなことは患者さんたちには関係ない。 ピアエデュケーターたちの人権も守られるべきだが、毎日正確に薬を飲み続けなければならない、HIV陽性者を相手にするうちのセンターにとって、いかなる理由があるにしろ一日でも、業務を怠ることは、決して許されることではない。 ピエデュケーターたち自身もうちのセンターで、薬やケアを受けている患者さんであるため、そんなことは十分承知のはずである。   先週金曜日、患者さんが大体診察を終えたくらいに、彼らがストライキを起こしたのは知っていたが、月曜日からは通常通り働くだろうと聞いていたので、私はいつもどおりフィールドでの活動をしていたが、昨日掃除のおっちゃんから、未だに来ていないことを聞き、今日は急遽手伝いに行った。 いつも、センターは7時15分には受付を始まるためそれくらいの時間に行った私だったが、驚きの状態が広がっていた。 金曜日からのファイルが、山のように積みあがり、誰一人スタッフは着ておらず、患者さんだけが、列をつくって並んでいた。おまけに、なぜか故障により、非常ベルが大音量で鳴り続けていた。 まさに!なんだこりゃー! 一人で、バタバタ準備をはじめ、後からちらほらやってきた、インターン生や違う課の助っ人数人と共に何とか、体重・体温測定と受付を終わらせ、ファイルをキャビネットから探し出し、クリニカルオフィサーに送り届け、次の予約日の確認をし、ノートに書き込み、次の日の準備をする。一日中バタバタである。 サボってばかりいる学生と、感じの悪いスタッフと、言葉がままならないおっちょこちょいの外国人しかいない、病院に誰がまた来たいと思うだろうか。 はっきり言って最悪だった。 ピアエデュケーターたちの行動は、許されることではない。また、給料が払われなくても、患者さんのために自主的に来る人が一人もいなかったこともとても残念だった。 だけど、給料をちゃんと払うと期待させておいて、払わず、しっかりとした説明もしなかったICAPも許されない。 とても、悲しい。 そして、追い討ちをかけるように、センターのボスは言った。 「私は彼らを許せない。来週、もう一度彼らを雇いなおすけど、こんなことをしたんだから、何人かはクビにするわ。」と。 彼らの声に親身に耳を傾けづ、患者さんも、そしてピアエデュケーターたちも苦しめるような道に進ませてしまった責任は、彼女にもあり、もちろん同じチームとして活動する私にもある。 が、しかし本当に患者さんたちには申し訳ない限りだけど、 今こそ最大のチャンスである。 チームの連携プレーがなければ、そしてお互いを尊重し合わなければ、どこかに歪みが生まれる、私たちの仕事は成り立たないのだということを誰もが、痛感した。 今回のピンチを存分に生かし、前進につなげていこう。 ということで、今日はとりあえず、一人で黙々と、仕事を終わらせ、いたるところに私の持っている限りのポスターや資料を張り、片付けまくり、いろいろ細工を施してきた。 相棒のデイビットが旅にでて、少しだけフィールドでの活動も暇になったので、うちのセンター改造計画、そして、プライドの高いボスを改革していこう計画。開始~ 日本でも復興支援を行っている、ボランティアの方々、自分たちも被災した中で毎日患者さんと向き合っている医療者の方々の偉大さをまたまた感じさせられた。 帰り際に、体温計をドコに置いたか、定かではなく、赴任当初に引き続き、二度目の体温計紛失させてしまったかも知れないという不安でいっぱいの私だが、これから始まる戦いのために、しっかり寝よう~

2011年4月4日月曜日

The Life is fight!

ドコにも行く用事がなく、シアヤにいられる週末は、引っ張りダコの私である。

自分で言うのもナンなんだけど。


昨日2件、本日朝一から夜遅くまでかけて5件、職場の人の家やお友だちの家々を流れのままにまわされた。



その中でもメインで、約束していたのは病院で掃除をしているアキーニの実家。



実家と言っても、教会が経営している孤児院である。



他の孤児院がどうなのかは分からないけど、そこは、どこからの援助も受けず、近所の人々の協力と、教会の寄付金、自分たちで農牧したものを売って成り立っていて、幼稚園から大学までの子どもたちが住んでいて、おまけに行き場のなくなってしまった障害者も受け入れていた。


そこの責任者いわく「ファンドはいらない。すべて必要なものは、神が与えてくれるから」だそうだ。


一緒に行った、若干激しすぎるくらい慈悲に満ちた小児科の看護師と、陽気でなかなかいいキャラの病院の警備のあんちゃんと、私は、その子どもたちの前で、人生の経験を話してくれと頼まれた。



長々と真剣に話す二人の話と、子どもたちの様子を観察しながら、何を言おうか考えた。



考え、考えたけど。


それぞれの理由で両親をなくし、これから自分たちの力で生きていく彼らに、私がかけられる言葉なんてあるわけもなく。



両親がいなくても、神はいつもあなたと共にいるよなんてきれいごとを言えるわけもなく。



追い詰められた私は、自分でも驚いたけど、満面の笑みと、全開の情熱をこめて、日本語で



『人生は勝負なり!』と口走っていた。

いちよう埋め合わせで、 『この日本語の意味は、人生は勝つか負けるかしかない。私たちがどんな状況にいるにしても、私たちは問題ではなく、答えになれるのです。 負けないでください。あなたのPowerや才能をムダにしないでください。 待っているだけではなく、積極的に夢を持ち、それを実現していってください。』 的なことを英語で説明したつもりだけど、うまく伝わったのか、コレが彼らにとってよい言葉だったのかわ分からない。



でも、今日感じたことは、孤児だからってかわいそうとか、哀れみの態度で接してもしょーがない。


大変な状況にある人に陰気な顔して接したら、本当に不幸見たいな感覚に陥ってしまう。


大変なときこそ、辛い思いをしているからこそ、明るくなれる。素敵な笑顔の人になれる。



『人生は勝負なり』







生きることも、今の活動も、生優しいもんじゃない。前に自分が進もうとすることは、苦しい作業であったりする。





人生も、今の活動も、勝つか負けるかどっちか。やるかやらぬか、続けるかあきらめるか。進むか逃げるか。






何気なく発した言葉だったが、そんな追い詰められた自分の言葉のおかげで、なんだか吹っ切れた私だった。







だけど、あまりの疲労に、明日起きれるかかなり心配である。


2011年4月2日土曜日

The Seed

愚痴を吐きます。




ここ数週間、全力で、動き回りました。




寝る間も惜しんで活動の準備をし、ご飯を食べる間もないくらい忙しく走り回り、あるときは一日中自転車で村を回り、あるときは政府の機関や大きなNGOや病院に質問と意見を言いに行ったり、パワー全開で戦いました。





だけど、結局何一つできない。



何も変わらないし、何にもできていない。すべてが無意味にも思える。結局私って・・・と思ってしまう。




嬉しいことも少しはあるけど、ほとんどはあ~あと思うことです。



結局必要とされるのは私ではなく、お金、カメラ、パソコン。



口では、家族だの、友だちだの、仲間だの言っているけど、結局は外国人なんだろうね。




毎日、朝、パワー全開で出かけて、全開に疲れて帰ってくる毎日。帰り道涙が止まらないこともある。だって、女の子だもん~.



ケニア人に英語で愚痴がいえたらいいのに。そんなボキャブラリーはございません。



結構自分苦しんでいるんだな~と思います。



でも、愚痴が言えることは大事なことです。



強さも脆さも人間であることの証です。



だけど、私は笑います。笑うことは、幸せの結果ではなく、幸せの原因だから。



何もできていなくても、意味のないことをやっているのだとしても、立っていたいと思います。




なぜなら、一人ではないから。




日本にも、世界中にも、いろいろなそれぞれの場で、くじけづ踏ん張っている人たちがいるからね。



やるしかないのです。





種から芽が出ないこともある。時間がかかることもある。
種を植えることをやめれば、一生何一つ咲くことはない。

どんな地でも、どんな種でも、植え続けることは、それがたとえ育たなくても、土地を耕すことになる。それは、土地を豊かにしていることである。


一ヶ月前に、なんとなくその辺の荒地に植えたモリンガの種。



水もやることなく、何の世話もしていなかったけど、一人で黙々と育ち、元気に顔を出していた。




なんだかとても輝いて見えた。

The Friend

最近の私の相棒、デイビット君をご紹介します。


彼は誰よりも、上手に私を利用する、世渡り上手。


最近期待している、シアターグループの運営を担当しており、おととし、ケニア全国区のアマチュアの演劇コンクールみたいなやつで、ベストアクターに輝いた実力者らしい。


普段の生活でもすぐに、演技や踊りを始めてしまうような変わり者。


こう見えて若干23歳の若者ですが、伝統的な楽器を起用に使い、とても物知り。


その上、ケニアでは珍しい、無宗教。


道を切り開くのはどんな神でもなく、自分だけ。自分自身で学び知識をつけることが力になる。からだそうです。

口癖は『知識は力』。 足が半端なく臭いのと、「ありがとう」とほとんど言わないのは気になりますが、 彼は完璧なボランティアで、いろいろな活動をこなします。 以前大きなNGOが行っていたマイクロファイナンス(お金の使い方、キープの仕方、商売の仕方などを教えた上で、低利子でお金を貸して、それを少しずつ返しながら、自分たちの力で貧困からぬけだしていくという活動)も、今は彼が自主的に毎月状況を確認しています。しかも、ミーティング会場までは、自転車で、1時間半かかります。
女性たちがグループで助け合いながら、自分たちで、商売をして稼いだお金。



どこのグループも、しっかりと毎回期日までに、ローンを返済しているらしい。





彼の功績は地道で、目立たないけれど、偉大です。






二人で、政府機関やNGOを回りまくったりもしています。


目的は、彼のシアターグループの出演の売り込みと、モリンガの宣伝、ヘルス教育をすべての学校で行おうという提案。



彼曰く『イベントなどのスケジュールがあっても、偉い人たちはほとんどが、椅子に座って、待っているだけ。こっちから動いていかないと、何もしないけど、行ったら何かしらのアクションが起こせる』らしい。




彼と、人のいいおっちゃんと3人で、モリンガ君を苗用に500粒植えました。目指せモリンガの地・シアヤ!

ということで、目標は、シアヤのすべてのヘルス施設、学校にモリンガを植え、ケニアが持つ貴重な資源を生かしていかないともったいないよ~と私の立場から言って歩くこと。




そして、彼のおかげで、フォレスト省というのか、何か自然のことについて担当している、政府機関からの協力もいただき、とにかく、この一番植物の育つ今の時期に、いっぱいモリンガの種を植えることができそうです。




彼とシアヤ保健事務所の健康教育の担当者に学校での健康教育をマストにしよう!と提案しに行き、プランニングを彼らと、政府機関とを巻き込んで、計画をスタートすることにもなりました。



ま~先はどうなるか分かりませんがね。約束はあるようでないようなものなんでね。



でもなかなかおもろい成年です。



彼も容赦なくルオ語で私に話してきて、私も平気で日本語で返します。



言いたいことはお互いにいえるよい友です。



何よりも、時間も約束もある程度守ってくれることと、私の何気なく言った思い付きの提案も実行に向けて真剣に考えてくれるところがありがたい限りです。






しかし・・・・・・、


スポーツと若者の活動を担当している政府機関に私と共に行ったことがきっかけで、幸か不幸か、突然明日から一ヶ月、何かのトレーニング合宿に参加することになりました。


柱のを失ったら、彼のシアターグループがどうなってしまうのか、若干不安です。


進めていた計画が、チャラになってしまわないかということも若干不安です。


なんだか、相棒が旅立つみたいで明日からとってもさびしくもなります。



一回り大きくなって、さらにみんなを引っ張るリーダーになることを心から期待したいです。




今回の彼の旅立ちで、私は何もできていないと思っていたけれど、なんだか友は少しずつ創れているんだな~としみじみ思えた。



あと1年2ヶ月後、どんな思いでケニアを立つのか、今は予想がつかない。



だけど、共に未来を見つめながら、希望に燃えて、熱い気持ちで握手を交わし、新しいスタートが切れたなら、どれほど幸せか。



いつの間にか、何かを変えようとか、何かでかいことを起こしてやろうと独裁者のような気持ちに陥ってしまっていたが、一人一人とごまかさず、大切に真剣に話をしていくことが、私が一番にやるべきことだと、彼に教えてもらった気がした。