2011年8月31日水曜日

The Japanese

イベントの前、日本から大切なお客様が来た。

国際協力レポーターの皆様。

以前まではODAモニターという名前だったようですが、今回からJICAに委託され、今回はケニアの特にNYANZA州が選ばれたようで、シアヤやキスム周辺に多くの方々がいらしてくれました。

隊員の家に泊まろう企画もあり、私の家にもかわいらしいTwo Girlsが泊まりました。

私の家のトイレに入って出てきた瞬間に異例の腹痛に見舞われ倒れこむというような事件もありましたが、非常に嬉しいインスタントラーメンをお土産にいただき、楽しませてもらいました。

その後、数人の隊員の職場を見学し、懇談会を行い、いろいろと貴重な話をさせていただきました。

日本からやってきて、彼らの目で見た私たちの活動やケニア、どのように写り何を感じたのか分からないけど私は、感じたことが一つあった。

日本人に対する人見知り。

言葉は英語やスワヒリ語やルオ語より分かるはずなのに、うまく話せない自分がいた。

不思議な時間だった。

日本に帰ってから、うまくなじめるのか、若干不安である。

それから、

もはやケニアでの活動も1年を超え、ケニアのよいところも見たけれども、それと同時に共に生活し活動する中で、感じた残念なところや、いいことばかりではない面も見てきた。

レポーターの方と話をして、フレッシュな意見を聞けたと同時に、自分の活動を改めて客観的に見るのも面白いかもね。と思えた。


それと、ケニア人も日本人も好きだなと思った。

The Asantevent

滞納していたブログを更新していきたいと思います。
記憶が新しいほうから。



自分で書いた活動計画表には、デンと書かれた「スポーツ&エイズ予防のイベント実施」。

しかし、日々を重ねるうちに、私一人では実現不可能ということを感じていた。

そんなとき、ちょうどユースイベントの企画を考えていた早川さんと、コミュニティでの活動を全うしもうすぐ任期を終えられる武田先輩のBeautiful Siayann Girlsのコラボのチャンスが舞い込んできた。


随分時間と労力をかけて、最低限の予算でシアヤのユースのために、多くのシアヤンを巻き込んで、情報のシェアと大きなインパクトを与えるべく準備をしてきたシアヤイベント。


そして、実現したのです。


プレイベントのユースによるゴミ拾いから始まり。



熱すぎる男たちのサッカー予選。






そして、メインイベント前日。

JICAボランティア名物、山本隊員による空手出張講座。



ステキなドレスに身を包み、手作りのバナーを掲げて、シアヤタウンを大行進。



そして、我らダンスチーム『YAMATO』による、Japanese Pop Dance披露。








そして、いよいよ~~~

メインイベント。

今、乗りにのっているVMMC(自主的男性割礼)を行うNGOや~



もちろんVCT(HIVテスト&カウンセリング)や~



POSTBANK(日本で言う郵貯みたいな銀行)や~




Redcross(赤十字)や~



World Visionなど、多くのNGO、政府機関を巻き込み、開幕。


 大興奮のJAPAN vs Siayanサッカーゲームありーの~






溢れるほどの観客を動員し、



Siayann大好き空手、拳法など格闘技パフォーマンスありーの~



もちろんよさこいや、ケニア伝統的音楽パフォーマンスありーの~



IGA(収入向上活動)や情報の溢れるブースありーの~



豪華日本商品が当たる大抽選会ありーの~



本当はちびっ子に当たってほしかったJapanユニホームを、
うちのユースのベナード君がGetしてしまい~の~



HIV/AIDS、LifeSkill、コンドームUSE、ヘルスに関すること、ユースに関することなど、ナガ~イSpeechありーの~


ちなみに、彼は、終始はしゃぎぎみだった、今回のメイン主催者、青年省のスペンサー君。



ま~こんな感じで、盛りだくさんだった。






ちなみに、今回、めでたくデビューした・・・・・








いよいよデビューした・・・・・









コンドーム星からやってきた『Mr.SAFI』君。





このかわいらしい容姿から、子どもたちにはもちろん大人気。




憎めない笑顔で、ユースにコンドームを配り歩く。



普段コンドーム使用を嫌がる青年たちも思わず、ニッコリ。




ケニアのコンドーム界に爽やかな風を吹き込んだに違いない。






天候にも何とか恵まれ、おそらく500人を余裕で超えるほどの観客が集まり、





日本ケニアを問わず本当に多くの人々と協力して、
シアヤに良い風を吹かせることができたようである。






                

サッカーのほうは、TeamCDCが圧勝し、最後市長さんより、誇らしげにトロフィーを授与してもらい、
閉会した。








 今回のイベント、はじめは『0』から始まった。


自分たちのお金はほとんど出していない。

ケニアのイベント事情を覆すようなハングリーな手段とケニアらしい方法のバランスを保ちながら、

全力で私たちの気持ちをこめながら、Siayanと共に創り上げることができたと思う。



子どもたちの目に何が映ったのか、ユースの心に何が残ったのかは、この先時間がたってみないと分かりにくいけど、


何か、よいほうに向かっていけばいいな。

今後、Siayanの手で、GOOD LUCKENYA IN SIAYA 続いていけばいいな~


ご協力をいただいた皆様、心の隅で応援してくれた皆様、本当にありがとうございました~

2011年8月28日日曜日

一区切り。

終わりました~

シアヤイベント『GOOD LUCKENYA』。

現在抜け殻のようになっております。

多くのJICAボランティア、スタッフにはるばるシアヤにきてもらい、多くのシアヤのお偉いさんも巻き込み、シアヤのみんなにいい時間を与えられたような気がします。

本当に、感謝したいと思います。皆に。

そして、頭の良いよい先輩をもてたことに。

気力が戻ってきたら、しっかりいろいろお伝えしていこうと思います。

休む暇のなかった8月が、ようやく終わろうとしています。

一人旅にでも出たい気分ですが、今日はゆっくり寝て、あさってもゆっくり寝て、その次の日もゆっくり寝たら、また次の活動に向けて、何かをやっていこうと思います。

では、また。

2011年8月26日金曜日

The正念場

シアヤイベントいよいよ明日明後日に迫ってまいりました~。

最初は予算も何もないところから始まり今では
どんどんどんどんシアヤの人々を巻き込んでいっている。

準備はほぼ整いました。ま~早川先輩の大活躍のお陰なわけですけど。

あとは、いかに内容の濃いものにするか。一人でも多くの人に影響を与えられるか。

この8月一息つく暇がなかなかないので、かなり頭がパニックしている私ですが、ココが正念場。

やってやろうと思います。

協力してくださる方々、本当にありがとう。
このご恩は忘れまい。


シアヤのメインイベントは27日土曜日10時スタート。


そして、実はそのちょうど同じくらいの時間に日本では、我が家の一代イベントがスタートするのです。

何を隠そう、『大曲の花火(全国花火競技大会)』であります。

今年は、東日本大震災のこともあり、今まで以上に力強く、皆にPowerを与えるものになるに違いない。

そして、大ダメージを受けた東北ということで、いつも以上に見物客が大いに違いない。


実は、我が『三吉』(両親が経営している食堂)、
不景気だからってお客さんやお金を待っているだけでは、何も変わらぬ!打って出る戦いをせねば!
ということで、イベントのにおいを嗅ぎつけては屋台を出させてもらい、家族総出でここ数年、戦っているのです。

もちろん、大曲の花火にも挑戦している。

そう!今年は、いつも以上に気合を入れていかねば!と、みんな準備に走り回っていることでしょう。


皆様、ぜひ今週土曜日は大曲へ。

また、お車の移動は大変混雑が予想されますので、公共交通機関のご利用をお勧めします。


夜空へ浮かぶ満天の花火。
職人の技が生み出す芸術。
商売人の戦場。
トイレの行列。
見所満載であります。


『和食三吉』を見つけた際には、一声かけてやってください。
「かけそば一つ」と。

震災被災者の方にとっても、よいリフレッシュになることを祈りたい。





我も頑張る。君も頑張れ。

2011年8月22日月曜日

The Good LucKENYA Pre Event

この怒涛の8月の最後に企画している、Good LucKENYA In Siaya.

つまり、FootBall with HIV予防啓発のイベント。


バタバタ任地をあけることが多かったので、かなりシアヤの先輩がたに頼りながらの~

昨日今日はプレイベント。

27日のメインイベントで、日本人チームと対戦するチームを決めるサッカートーナメント。

ケニア人にとってイベント=ソーダ・ランチ・日当

コレがThe Kenyan Culture。生きていくための術なんだろうけど。

しかし、そのお陰で、ハードルが上がって開催が遠のくのはよくあること。

しかし、私たちはボランティ~ア~

ということで、最最最低限の予算で、スポンサーを集め、開催にこぎつけた。

といっても、ソーダ代を出してくれるかもしれない銀行からの返事がまだ出ていないので、今のところポケットマニーだけれど・・・・。


そして、いつも口をすっぱく言っているように「お金がなければ知恵を出せ!あるモノを使え!」

を自ら実践するかのような、手作り感溢れるものになった。



ポスター作りは子どもたちと協力して



 みんななかなかのGood センス。





視覚資料はほとんど手作り。

積極的に己が動く。 




 もちろん得点板も手作り。

こんなんでも、シアヤで初のスコアボードありのサッカーゲームだったらしい。




コウモリの赤ちゃんも私たちを励ましにやってきた。




今回は、数あるシアヤのサッカーチームの中から、4チームを選びその中のトップ2が日本人と対戦できるということにしたけど、みんなどうしても日本人と戦いたいみたいで、闘志溢れる熱~いプレイ。





イエローカード2枚で退場する選手も。
みんなものすごくいい試合を繰りひろげ、
ハングリーなチームが一位。
病院関係者がほとんどのリッチチームが2位で、日本人チームとの対戦相手が決定した。


まだプレイベントなのに、シアヤ市民のものすごい盛り上がり。

もちろん問題もあるけど、メインイベントが楽しみだ。
が・・・

日本人チームは大丈夫なのであろうか・・・・。


27日のメインイベントまで、あと一週間。
ベストを尽くすぞ~


2011年8月5日金曜日

The Siaya Event

Good LucKENYA in Siaya

赴任当初からの夢であった、スポーツwith HIV/AIDSイベント。

任地での生活日数を重ねるたびにそのイベントへの思いは大きくなるものの、
その開催のためには、私の笑顔と体力だけではなんともならないものだと痛感してきた。


しか~し、シアヤには英語堪能・頭優れものの早川・武田大先輩がおられる!

彼女たちがいる間でなければ、夢の実現は皆無である。

ということで、
動き出した。



今週は、音声機器、ジェネレーター、場所代、そして一番高くつくリフレッシュメントつまりソーダ分の資金を出してくれる団体&情報やVCTやパフォーマンス面で協力してくれる団体探しのため、シアヤにいる有力な団体を一つ一つ回った。

といっても、交渉はすべて早川先輩任せ。
私は、横にちょこんと座って笑って話を聞いている役。

先輩の堪能な英語と、その接し方の素晴らしさに、ほとんどの団体の反応は上々。

勉強になりやす。


もちろん、その流れの中で、シアヤでかなり幅を利かせているNGOがいるうちのCCC(HIV陽性者を包括的にケアする施設)にもいったわけです。


今日は早川先輩が一緒で、何か心強かったので始めて施設内の写真をとりました。
いや、とれました。





はっきり言って素晴らしいです。きれい過ぎます。

日々内装も、サービスもどんどんよくなっています。



先週、施設リニューアルを祝うイベントがあり、私の苦労して作った質の悪いマテリアルは、人がたくさん来て、セキュリティー的に危ないからという理由で、取り外すように注意されました。

若干、涙が出そうになりましたが、これで患者さんが満足して治療が受けられるのならいいでしょう。

ちなみに、
外には、患者さんに癒しを与える花壇ができました。



私の存在価値は別として、スタッフがやりがいを持って楽しそうに働いている現場、患者さんが待ち時間にしかめっ面をしていない病院は嬉しい。


だけど、やはりものすごく痛々しい患者さんもいる、明らかに母子感染の子どももいる。

たとえ、どんなに素晴らしい病院であっても、来なくてすむに越したことはない。

そのためにも、

シアヤでのスポーツイベント。

一人でも、新規感染を防ぐことができたなら、それでいい。
一人でも、知らないがために、命を落とすことが防げたならそれでいい。


先輩方にかなり頼って、いやむしろマル投げ寸前ではあるけれども、全力でやってやろうと思う。


日本人がたくさん着たら、シアヤの人たち喜ぶだろうな~

8月27日!
JOCVの皆さん!ケニアにお住まいの皆さん!全世界の皆さん!

いろいろとお忙しいとは思いますが、ぜひぜひ、シアヤへ起こしくださ~い。

2011年8月4日木曜日

The モリンガーZ先輩のライバル現る!?

『ハイブリッドモリンガでビジネスを始めたムズング(外国人)がいたぞ!』

突然、ちょい顔見知りのおっちゃんが教えてくれたのは2ヶ月前のこと。

モリンガZ先輩を見習い、コツコツとモリンガ活動を行ってきた。
約1000個の苗木を育て、近場のヘルス施設や学校に植えてきた。
農業トレーニングセンターでもモリンガをごり押ししてきた。

そんな私にとって、そのムズングの追跡は第一重要課題であった。

彼の正体は?
目的は一体?
どんなビジネスなのか?
タダで種を配りまくっている私の活動は彼のビジネスの邪魔をしてはいないのか?

そして、つい1週間前に彼を正体を突き止めた。

彼はスロベニア人で、モリンガ発症の地、インドから持ってきた育ちが2倍早いハイブリッドモリンガの種から大量のオイルを摂取し、オーストラリア、中国、日本などの化粧品会社などをターゲットにした会社を立ち上げようとしている人物らしい。(発音がよすぎて80%は聞き取れなかったけど)
また、モリンガについてずーっと研究してきたらしい。


現在は、大量の畑が必要なため現地住民と交渉中とのこと。
彼が必要なのは種だけらしく、多くの栄養素を含む葉の部分は要らないため、地域住民のために生かしていこうと考えているらしく、医療関係の団体とも話し合いを進めているらしい。


が、シアヤでは土地確保がうまくいかなかったらしく、お隣のブシアに移動するらしい。


残念。

心強いモリンガの仲間ができたと思ったのに~


しかし、彼はモリンガ情報を大量に残していってくれた。





ありがたや~ありがたや~




これからは、間違いなくモリンガ君の時代でっせ~

モリンガ君をお見逃しナク~ 

2011年8月2日火曜日

The 同志

赴任してから1年を超え、今まで、活動の合間に他国にも行き各国で奮闘する同期隊員に会ってきた。


 ザンビア~

 マラウィ~



そして、わが国Kenyaにも嬉しい来客があった。

From エチオピア~から今回は3名。
そして、今後も続々とやってくるらしい。



まだ出会ってから1年ほどしかたっていない人がほとんどだけど、私も任地でなんとか活動しているように、そでぞれがそれぞれの場所で、日々葛藤しながら、目の前の人々と向き合っていると思うと離れていても、共に戦う同志である。

みんなに会うのは嬉しすぎる。


特に、同じEnglishビギナーズクラスで共に不安を抱えながら、励まし合いながら勉強した仲間との再開は本当に嬉しい。


ザンビアのエイズ対策隊員ユウコリン。(写真の向きの変え方が分からない)
 研修期間中はすごく苦しんだけど、今は訪問介護で、住民と向き合いながらの活動が充実しているようで、キラキラしていた。英語もぺらぺら使いこなしていた。さすがである。



エチオピアの体育隊員SatoshiとTaishi。
Satoshi㊨はマラソンマン。エチオピアNationalTeamともかかわりながら、マラソン大国エチオピアで、走ること、一流の人間として走り続けることを熱く教えている。ちなみに今回スマイルチャリティーマラソン(前の記事↑)では、日本人でトップ~さすがである。

Taishi(真ん中)は、サッカーマン。任地の地元サッカーチームで選手としても活躍し、背中で子どもたちに希望を語る。身体に多々問題は抱えているようだけど、元気そうだった。ちなみにエチオピアで使われるアムハラ語ペ~ラペラらしい~さすがである。

Beautiful MARI㊧、とりあえず元気にあいさつしながら、健康に笑っている。
いちようヘルス教育などもやっているかな。


時間が限られていていっぱい話をすることはできなかったけど、みんなの元気そうな姿を見れてすごく嬉しかった。

私も負けてはいられない。
頑張ろう~

フレーフレー全世界のみんな~

The Marathon

体カッチカチやで~

なぜかというと・・・・



The Smile Charity Marathon~

ココ何年かケニアで行われていたマラソン大会だったが、今回は日本に対するチャリティーマラソンに形を変え、アフリカ最大のスラム、キベラスラムで開催された。

種目は5キロ(キッズ)と10キロのみで、私たちは10キロに参戦。

JICAスタッフに勝ったらKESTES(KEnya STudents' Educational Schoolarship)という、私たちボランティアが運営している奨学金制度に、JICAスタッフからお金が寄付されるということで、真剣マラソンとなった。


が、しかし・・・。

約1700mほどの高地、アップダウンの激しいぼこぼこ道、そして運動不足寝不足、ま~久しぶりにしんどかったですよね。

自分の体の重さに、驚きと悔しさを感じた。次にリベンジをかけようと思います。


そんな苦しいレースを支えてくれたのは~ 

この少年。

キベラに住むKen君。

ゼッケンはなく正式参加ではないけど、スタート直後から、最後まで一緒に走ってくれた。

何度も歩こうとも思ったけど、彼も何度も「疲れたから歩こう」と行ったけど、「あきらめるな~。ゆっくりでもいいから走り続けろ~」と自分の重すぎる身体に言い聞かせるように、彼に何度も発破をかけて、二人で最後までなんとか走りきった。

最後のラストスパートで1メートルほど負けたけど。

今回のマラソンが苦しかったように、何度もやめようと思ったように、ゴールまでの道のりは、夢は目標までの道のりは楽ではない。

スラムに住む彼らにとっては特に大変なことなのかもしれない。

だけど、走り続けたら必ず何かしらのゴールはやってくる。そして、大変だった分その喜びはたまらない。そう信じたい。

私が今回のマラソンで自分の体の重さと共に、苦しみと喜びを感じたように、彼もそんなことを感じたに違いない。

マラソンもやはりいいスポーツだな。

ちなみに彼は・・・・。
ぼっろぼろのサンダルでした~途中は裸足になったりもしていました~

何たるど根性~

負けるな~、走り続けろ~

私も、トレーニング始めねば!