2012年1月29日日曜日

The 好きな場所。

本日土曜日は、ここのところずっとほったらかしていた畑で一日過ごした。



シアヤは今、メイズ(甘くないとうもろこし)の収穫がほぼ終わり、乾季。雨なし。

水場が近い畑では、全力で新たに耕す作業に追われている。

水場が遠い畑は、収穫も終わり、ほぼ枯れている。


はい、私の畑はというと、
2つありまして、

一つは、水場の近くにモリンガと空芯菜を植え、師匠が他数々の野菜を植えているので手伝っている。

もう一つは、水場が遠く、ほとんど水やりはせず、ほったらかしで数多くの種類の野菜を植えていた。


自然から、「甘いんだよおまえは!」と言われております。


でも、久しぶりの土との対話はとても楽しかった。




これ、なーんだ?
 植え忘れられたアボカドの種でございます。
この真ん中から芽が伸びてきます。





こちらは、ご存知モリンガ君。
根っこが丈夫すぎます。

少し前にテキトーに植えた種がいっぱい育っていました。

学校などに行く時持っていこうと思って、苗木用のポリバックに移す作業を今日したけど、根っこが丈夫すぎてうまく抜けず、ほとんどが茎と根バラバラ殺モリンガ事件になってしまいました。

ごめんよ~と言いながら、今日のおかずはモリンガスペシャルにしました。

葉や茎は食べたことがあったけど、根っこは初体験。

ネット情報によると、香辛料に利用されるとか、有毒だとか書いてありました。どっちやねん。

でも、食べている人もいるみたいだし、匂いは山わさびっぽいので、とりあえず食べてみました。

まー普通だけど、大量摂取はやめておこう。無事明日目覚めますように。




 水場が近い畑は、手間暇をかけてダラマス師匠が手入れをしているので、どんどん素敵な畑になっていく。前は林や荒地みたいだったのに、うまいことやります。

モリンガくんもすくすく育っています。




ちなみに、畑に重要な虫たち。

ここは水場に近いということもあって、こんな風情のある奴も見れます。

ケニアでも 見れてしまうよ 赤とんぼ

秋じゃないのに~。

あと塩辛とんぼもいっぱいいます。車トンボは見ないな。
あと、ホタルもいっぱいいる。水綺麗なようには見えないけど。

そして、蚊もいっぱい・・・・。





これ、なーんだ?
 これ、ゴマです。


水場の遠い畑は、実は私水やり一回しかしたことがありません。

12月までは雨も多かったし~

というより、水場が遠く、水運びがあまりにもきついので、挫折しました。


よって、弱いものは皆枯れました。

そりゃ、栄養もなく、水もなく、世話する人もほとんどいないんじゃ人だって死にます。


そんな中、生き残ったのは、ゴマ3本、モリンガ、MITOO(日本語:ネコブキラー)数本、大量の大豆でした。

私と、一緒に管理しているDavid君の妥協による結果だけど、

これは今後の参考になりそうだ。





以前、奥地に行ったとき、「なんで、ちゃんと植物が育つ土地があるのに、畑を耕さないんだ?」と、おっちゃんに質問したことがある。

お金がないと言う前に、畑を耕せばいいじゃないかとその時思った。


しかし・・・、


 毎日朝夕、この道のりを数往復するのは、キツすぎる。

果たして、それをやらないことをサボりと言えるのだろうか。


わからないから、明日からシアヤにいる間は毎日、ここに住む女性たちを見習って、やってみようと思う。




そんなこんなですが、


嬉しすぎる収穫。



食す。



美味し。

大豆のチカラおそるべし~!

2012年1月28日土曜日

The Top of Africa

日本は近年稀にみる大雪のようで、

皆様、屋根からの落下雪や事故にはくれぐれもお気をつけください。


ちなみに、シアヤはあああああっつ~

暑いです。

おかげで一皮も、二皮も剥けました。日焼けで。


みなさんもご存知、ケニアは雪は降りません。

が、雪、見てきました。


Top of Africa!

キリマンジャロで。



山は油断しちゃいけない!とよく言いますが、いろいろありました。



張り切って出発したものの、


3000メートル付近で嘔吐・・・・。久しぶりにしんどかった~



ちなみに、行きの飛行機の中です。

原因は、う○こを我慢していたことによる。残念すぎる。
(ちなみに小型飛行機でトイレはなかった)


気を取り直し、いざ出陣!


と思いきや、

また嘔吐・・・・。

私ではなく、元ジュノンのイケメンが。

ちなみに原因は登山に対するプレッシャーにより。




そして、いざスタート。



事務所より、登山のための心得なるものをもらえたので、水をしっかり飲み、呼吸法に集中しながら、ゆっくりゆっくり登っていく。

写真は2日目3、300メートルくらいの地点。





ちなみに、ケニア山登山の時もそうだったが、このような高所登山のときは、大体ポーターさんやガイドさんを頼む。

だから、自分たちはほとんど手ぶらで登れる。

ポーターさんは、テント、食材、食器、私たちの荷物などを運んでくれる。

彼らは、砂地や断崖絶壁も多い約4600メートル地点までの行程を、思い荷物を持ち、早歩き、時には小走りで登る。


こんな感じで、

 これぞまさに鉄人業である。
地上最強のサービス業。

山の自然だけではなく、彼らの存在にも感動せずにはいられぬ。





登山者は、
彼らが懸命に運び、準備してくれた食事を食べる。

そりゃ当然激ウマっす。


お気づきのとおり、私たちが登ったのは、ちょうど~

クリスマス~




ということで、若手のポーターさんたちがクリスマスソングを歌ってくれた。


かわいすぎる。

おかげで、心温まるクリスマスになった。



今回私たちが登ったのは、難易度が高いとされる、

マチャメルート。

初日1500mー3000m
二日目:3000mー3800m
三日目:3800mー4600mー4000m(高地順応)
四日目:4000mー4600m
五日目:4600mー5895m(トップ)ー3100m
六日目:3100mー1980m ゴール。

ま、登山のついて、詳しくはこちら、共に登った清水隊員のブログがわかりやすいかと。



やはり、高山病により登頂を断念せざるおえなかったり、何かしらの症状が出ることがあるようですが、私たち6人は、若干1名睡眠状態で登っていた疑惑の人がいますが、

呼吸法がよかったのか、皆で頂上の土を踏みました。




ジャーン、今回共に戦った同志たち。
5895m~





そして、

暗闇を割ってやって来た、アフリカの日の出でございます。



 言葉にはできません。

Kilimanjaro:輝ける山(byスワヒリ語)!


そして、長居はできないので、
即下山。





ここで、キリマンジャロの花をご紹介。

Im Patiens Kilimanjaricaというそうです。
つまり忍耐強いキリマンジャロの花って意味。







そして最後は登頂したで賞状をもらいゴール~




 こちらが、この度の我チーム一同。



やっぱり山は偉大だった。

そこで働く人々も。



高くついたけど~

たぶん挑戦してよかった。

夜中トイレに起きて、極寒の中、満天の星空を見上げながら用を足したことは一生忘れまい。


かなり端折った内容ですが、詳しくは私に直接聞いて下さい。




2012年1月26日木曜日

The 偉人。

『偉人』

偉大な人。すぐれた人。大人物。(広辞苑)


私的に偉人のイメージといえば、マハトマ・ガンジーさんとか、マーチン・ルーサー・キングさんとか、坂本龍馬さんとか、ワンガリ・マータイさんとか、本当に世界的にすごいと言われ、人々に大きな影響を与えた人って感じがしていた。


しかし、今ままで、勝手な思い込みだけでイメージしていたケニアに来て、少し知らなかった世界を見て、偉人ははるか雲の上にいるのではなく、そこ、ここにいっぱいいるのだなと思った。

先週金曜日、ニャンザ州学術会議と称する、ニャンザ州でプロジェクトを持つ団体の報告会的なものに参加させてもらった。

その中でも、でかい存在感をみなぎらせていたのはこの写真の正面のお二人であった。




左のマダムは、野口英世アフリカ賞(野口博士の志を引継ぎ、アフリカの ための医学研究・医療活動それぞれの分野において顕著な功績を挙げた方々を顕彰し 、もって人類の繁栄と世界の平和に貢献することを目的とした賞)受賞者で、ウジマ財団理事やアフリカ国家エイズ対策委員会(NACC)委員長などなどすごい職歴と実績を持ち、71歳の現在もバリバリのミリアム・ウェレ博士。

始め誰かよく知らなかったけど、その眼光と、鋭い質問と頭の切れ味が恐ろしいほどだった。


右のムッシュは、JICAヘルスマネジメント強化プログラム代表杉下先生。普段の温かい人柄もさることながら、プレゼンテーションをするときの勢いと、心をぎゅっと掴む一言一言。いつも必ずそこにいる参加者に熱いものを感じさせるそのパワーと情熱は圧巻だった。

「Have a dream!」「問題からではなく、夢から今何をすべきか考えろ!」

学術研究発表の内容より、そんなことが気になってしまった。


今思えば、今ままで出会ってきた人にも偉人に匹敵する人はいっぱいいる。

協力隊員もすごい人ばかりである。




そして、本日感じた偉人は。

いつもおなじみDavid君。



ヘルス教育。
今学期はセカンダリースクール(日本の中3から高3)に焦点を当ててやっている。

本日の彼のセッションは素晴らしかった。

ヘルス教育ガイドラインに添いつつ、歌、ダンス、演劇を所々に織り交ぜ、生徒の心をつかみ、的を得た話をしていく。
開始直前に私がちらっと話をした、男性用・女性用コンドーム使用法や、HIV陽性者の立場にたった言葉遣いについては、すべてアドリブで組み込まれていた。

天才だと思った。

そして、最後の締めは、いつもどおり私のお決まりの一言。

「私はうまく話せませんが、彼はとても良い話し手です。私の今日の仕事は彼をここに連れてきたことです。ありがとう。質問があったら彼にしてください。」

今日こそはと思い、少し長い原稿を考えていったけど、必要なかったのでやめました。


前から知っていたことだけど、私は今や別に英語が苦手なのではなく、おそらく話すのが苦手なのです。何語であろうと。それで本日、しっかり見えました。

私はマネージャーでよいということが。


目標に向かって、シアヤにいる偉人たちを引き立て、彼らの力とニーズとの橋渡しをするマネージャーでよい。

人を活かす!

人は最大の資産である。(ドラッガー「マネジメント」より)

人は皆が偉人になり得る。その力を活かすことができるなら。




はい。完璧に今読んでいる本に影響されているけど・・・
なにか?





2012年1月17日火曜日

The サボリ魔の涙。

今日は、いつもどおり?でもないけど、とりあえず朝一で病院に行った。

NewYearムードから本格的に新年度の仕事が始まってくる時期なのか、多くの援助団体が関与するシアヤの病院はミーティングやら、ビップな訪問者などで忙しそうだった。

とりあえず、新年のご挨拶を皆と交わし、カウンターパートとあと半年の活動について話し合った。

ユース向けのサービスについて全面的に私に任せる的なことを言われ、若干、ビビッた。

妙な彼のやる気と、よくわからんほどの私への信頼が怖いが、

なんか面白くなりそうだ・・・・。


ちなみに、最近ラミネートされ意外と質の上がったはずの私作視覚マテリアルは・・・

取り外されていた。


お偉いさんが来るときは、取り外される仕組みらしい。

っておい!?と一人でノリツッコミをかましながら病院を後にした。

もはやそんなことでは、びくともしない。

明日また、取り付けに行くに決まっている。

患者さんにとっては、損ではないモノだと思うから。







その後、いつもどおり?Davidくんたちのオフィスに向かった。

すると、学校に行っているはずの時間に、いつも私の畑仕事を手伝ってくれる通称ダディ君(10歳)がぶらぶらしていた。

いつも「学校は行かないのか?」という英語もスワヒリ語もままならない私の問いかけには、

まだ英語もスワヒリ語もままならないダディ君、しっかりと答えてくれない。

なので、今日はDavid君に聞いてもらった。


やんちゃなダディ君は、学校で友だちと喧嘩になることがよくあるらしく、

今回は殴ってしまったそうです。

秋田弁でいう「ほじなし」ってやつね。


あまりにも問題を起こすので、もう帰れー!と先生に言われ、親を連れてこい!と言われたそうな。


しかし、それはもちろん彼にとっては、先生にも、親にも怒られることになるわけで、

怒られるということは、ケニアでは叩かれることである。

そんなん自分から怒られにもどることほど怖いことはないわけである。


しかも、近所に住んでいる彼の家族はみんな知っているけど、父ちゃんは自転車タクシーの運転手、ばーちゃんは道端でバナナを売ってて、かーちゃんは病気で亡くなっている。

半日仕事を休むことは、家族の生活に関わる。

だから、ダディ君が伝えたところで、ばーちゃんもとーちゃんも学校に行かないかもしれない。

これでは本末転倒というやつだ。

先生もちょっと考えてほしい。


こんな風にして、学校がさらに嫌いになり、受けられる教育を受けない子も結構いるのかしら。

ちなみにケニアは小学校も学費はタダです。



そんなダディ君に、もう喧嘩はやめなさい。

勉強することは大事だよ。

大変だろうけど、おまえは変われるよ!と諭すDavid君。

涙を流すダディ君。

なかなか良い絵だった。


そして、後ろで、ニヤニヤ眺める私。


とりあえず、お説教が終わったところで、今日一日を取り返すために、

Hand Washing講座を一対一でしてもらった。



これもなかなか良い絵だった。



しかし、普通にご飯を食べて、普通に学校に行って、普通に暮らすというところにいくまでには、いろいろなハードルがあるのだな~と思った。


そんな状況であろうと、どんな状況であろうと、自分でたくましく幸せをつかんでいくしかない!


フレーフレーダディ~

2012年1月16日月曜日

The いざSIAYA。

長旅を終え、ようやくシアヤ帰ってきた。

「長旅」の内容は、おいおいご紹介したいと思う。

おいおいと書いたときは、たいていいつまでたってもやらないけど、ま!おいおい。

シアヤは満天の星空とほたるの光で私を迎えてくれた。

人もいつもどおり。

ちなみに畑は、ここ最近日照りの日が続いていたのか、大豆や乾燥に強い奴ら以外、ひどい状態だった。



シアヤに帰ってくるマタツの中で、旅のこと、これからの活動のことを改めて考えた。


まだまだ、やりたいことがたくさんある。

やってやるか~という意気込みと、

すべてできるだろうか。何からやるべきか。やりたいという気持ちに私の能力はついていくのだろうか。明日の自分は弱気になっていないだろうか。

という、考えてもしょーもない不安が入り混じる。

それが人間。

考えてもよくわからないことがここには多過ぎる。

何がいいのか悪いのか、何が正しい道か否か、
そんなモンを探してたら2年なんてあっという間に終わる。

ひらめいたらやる。
やるのかやらぬか迷ったら、やる。


そんなこんなで、明日から気持ちをさらにハツラツと、
やってみますかね~。




2012年1月4日水曜日

The 先輩の遺言。

私たちがケニアに赴任したとき、ケニアJICAボランティアは総勢約90名だった。

しかし、
同期が19人いた私たちの隊次で、大人数派遣は最後となり、延長する先輩たちもいるが、12月に行われる選挙に向けて、これから人数はどんどん減っていく予定。


そんな中、昨日また、先輩たちが、日本へ向けて旅立っていった。



その中には、エイズ対策、改め、モリンガ普及員として、私たちに大きな影響を与え、最後はティンガティンガ(かわいらしい動物の絵)普及に随時した、通称モリンガーZ先輩もいた。


私たちとしては、貴重な財産を失った?ようなものである。



しかし、彼が残してくれて遺産は大変に大きなものである。







赴任当初、エイズ対策の先輩たちの活動報告を聞き、ほとんどの先輩に「英語堪能・仕事ができる・すごい!」というような印象を受け、到底私にはムリだと思われた。

そんな中、「英語不堪能・モリンガを植えている・何か変」なモリンガーZ先輩には、何か同じような匂いを感じた。

その後任地で活動する中で、思いつく発想は、やはりモリンガーZ先輩とかぶる部分が多く、
モリンガ普及、ステッカー作戦、ルオ語にこだわったポスターなどなど先輩の背中を見て育った。

活動のいい面も、難しい面も背中で語ってくれた。

彼には、感謝してやまない。





誰よりも、罪なき傷を負う子どもたちの見方に立ち、中島みゆきをBGMに活動を走り抜いたZ先輩の、思いを引き継ぎ、私も残りの任期を全うしようと思う。





そして、彼だけではない。

私たちがそれぞれ、任地で悩み、ぶつかる壁は、過去歴代の先輩たちが経験してきたことに違いない。

2年という限られた任期の中で、私たちにできることは限られている。

だからこそ先輩たちの経験や思い、残した傷跡を、次に来た人が受け取り、次のケニアのためにつなげていかなければいけないと思う。




偉大なる先輩達よ、

日本での活躍を祈る!

The 謹賀新年

大変ご無沙汰していましたが、

Merry X'mas~

HAPPY NEW YEAR~

イエーイ~


あっという間に、2012年に突入~

実は、旅に出ていました。


詳しくは、また書きたいと思いますが、




アフリカのてっぺんから、



希望に溢れる大地をサンタさんと共に、
眺めたりしていました。





それから、大海原を眺めながら、ノホホンと年をまたぎました。





今までいろいろなところにいったけど、今回の旅ほど心を無にできたことはなかったと思う。




旅といえば、いろいろな人との出会いがある。


たくさんのすごい人たちを見た。


どんな絶壁の斜面も、大量の荷物を持って黙々と運ぶ
超人たち。


山の力を借りながら、山の偉大さを教える山の男たち。




いろいろな部分があるけれど、私は彼らが好きである。









魚を毎日ちょっとづつ、捕って売る海の人たち。


海が似合う若きキャプテン、ジュマー君。




海を愛するマサイ君。




毎日お客さんを見送るまー君。




まだまだ現役の、歯っかけおっちゃん。




元日なんて関係なしで、釣りえさのゴカイをとるおじさん。




元日のおかづのシジミを採る少年。




ただただ生きるために、自然に、自然と共に生きる人たちにいっぱい会った。

写真はほとんど働く男たちだが、その影にはもっと働く女性たちがいっぱいいるだろう。
(女性は写真を嫌がることが多い)


今回、自分への投資金を一生分くらい使い、贅沢な旅をした。

だけど、もうこんな旅はもうしなくていいかな~と思った。
というか、もうできないでしょう。





The 2012!
 ケニアでの任期も残り半年。

日本に帰り、新しいスタートをきる年。

この一年半、自分と向き合う十分な時間があり、私の人生を揺さぶる出会いや経験がたくさんあった。

そして、今年、それらすべてを含めて、

これからどう生きるのかを決断する1年になるだろう。







仲間との別れもあるだろう。







いろんな思いのある年になりそうだけど、

やっぱり今年も笑っていこう。ハツラツと戦っていこう。

旅で出会った、素朴で自然と共に生きる人々のように、私も生きて生きたいな~。 







皆様、昨年はお世話になりました。
今年も何卒よろしくお願いします。

それでは、絶対無事故!健康第一で!