2010年12月26日日曜日

The マリ栗~

メリクリ~Everyone!



本日我が家は、またもやサンタさんの粋な演出のおかげで、停電のため、このようなムード満天な状態で、母から届いた栗を食べながらマリ栗済ましました~~









ケニアでのはじめてのクリスマスを迎えての感想はといいますと・・・・、



ご機嫌なおっちゃんが多い、いつも以上に握手をするはめになる、病院内はいつも以上にドヨーンとしている、暑い、なんかちょうだいの人だかりができる、かわいい格好の子どもたちが多い、なんだか全体的に陽気。という感じですかね~






それで、今日は、一日何をしたかというと、ま~私らしい残念な一日になりました。






元来、貧乏暇なしという家庭に育った私にとって、クリスマスは遊ぶ日ではなく、全力で働き今日も頑張った!と空を見上げる日なわけであります。



そして、質は別として手作りのプレゼントを作ることが私の趣味なわけであります。



というわけで、クリスマスも働いている人たちに何かをプレゼントしよう!計画を実行したわけです。



しかし・・・・、



卵が目についたので、卵焼きをあげようと思い、卵を20個買ったはいいものの、卵焼きに挫折し、しょうがないからチャーハンおにぎりに路線変更したが、ケニア米ではおにぎりにならず、ひとまず、チャーハンは置いといて、あまった卵で、ニコチャンクッキーを作ろうと思ったが、

ニコちゃんではなく、妖怪が出来上がり、その上、さくっとも、しとっともしない、中途半端なもんが、


こんなに大量に出来上がり~



朝一から、約五時間、炭を焚き続け出来上がった中途半端なクッキーと今日のために買った大量のあめを持って、外に繰り出してみたら、いつも土日も働いている仲良しの人々は、ほとんど見当たらず、病院に行ってみたら、クリスマスムードゼロで、とりあえず出会った人全員にあめを配っていたら、一人の看護師さんに、婦長の許可を取ってからじゃないともらえないといわれ、チーンって感じで仕方なくタウンにいってSIAYAのクリスマスの様子でも見てみようかと思っていたら、Give Present攻め&握手攻めに合い、そんな中、持って行ったものを全部渡し終え、天使のような男の子に本物のおいしいクッキーをもらい、さわやかな気持ちで帰ってきた。


コレが、今日一日の要約である。



しかし、今日ほど、何かをくれ!といわれることが嬉しかったことはない。

なぜなら、自分の作った、まずいクッキーを持って帰りたくはなかったから。

Siayaの人々よありがとう~

お腹だけは壊さないでおくれ~

サンタさんその辺よろしく~



そして、自分へのプレゼントもしっかり準備した。

実に安上がりな炭となべのアイロンを使って、





Tシャツを作った。

Present for me~


しかし、こげた・・・・・。




そして、明日は朝昼晩チャーハンを食べることになるだろう。

今年のクリスマスも、私らしいトンチンカンな楽しいクリスマスだった。

サンタさんありがとう~


Peaceful World~



なぜか、同じ写真が、またもや以下に貼り付けされてしまいました・・・・。















































2010年12月25日土曜日

The X'mas イブ~!

皆様、X'mas イブ(日本はもうクリスマス)いかがお過ごしですか~

私は、SIAYAにて、大雨・停電の中、ひっそりと、吉幾三メドレーとクリスマスソングを聞きながらすごしています。


さて、そんな私に、あわてんぼうのサンタさんが、素敵なプレゼントを届けてくれました~

じゃ~ん。

一ヶ月前に日本を出発した贈り物が、このクリスマスのタイミングにあわせて、やってきました。

中身は、くり・お茶漬け・ジャコご飯のもと・キティーちゃんのシール・桜の造花などです。

かあちゃんありがとう。そして、サンタさ~ん素敵な演出ありがと~。

やはりクリスマスはいいね~。雪がなくても、あっつくても。




昨日まで、同期の更生学校にて行われた、出張エイズ講座と、運動会へ行ってきた。

載せたい写真はいっぱいあるけど、ネット不具合のため、また今度にしようと思う。

だけど、一枚だけ。
野球に人生をかけるピヨタン(弟:清志)へのクリスマスプレゼント!

更生学校の子たちと、野球をやった。
野球派とサッカー派がいて、必死に球を追っかけてたよ~
ちなみに私は、空振り三振で、討ち取られました~



ここで、全世界の皆様にお知らせです。

来る12月30日。今年を締めくくるにふさわしく、ピヨタン登場のはじめてのおつかい再々放送があります。
前回見逃した方、2010年をかわいく締めくくりたい方、ぜひご覧ください。私の変わりに~

12月30日朝5:20~8:00ですが、たぶんピヨタンは最後のほうです。そしてたしか日本テレビです。

では、よいお年を~




なぜか、同じ写真が二回貼り付けされてしまいました~






2010年12月16日木曜日

The 劇的 BEFORE AFTER~

小豆を湯がきすぎて、3日間朝昼晩あんこを食べている今日この頃。



この水不足の地域にして、必要のないときに、まるでオブジェのようにトイレの壁をつたって流れてくる、大量の不可解な水。
そして、必要なとき、必要なところからでない水。

我が家は水のトラブルが耐えない・・・。


しかし、おかげでいいことがあった。

いつものように夜寝る頃になって、トイレの壁から水が流れ始めたので、外の元栓をちょっとチェックしてみようと思い、外に出てみたら、満満満天の星空。ものすごい大量に流れる流れ星。

田沢湖の星空も素晴らしかったし、北海道の極寒の中、露天風呂から見た星空も素晴らしかった。

小さな頃から、星をみて育った星っ子の私だが、今回の星空には鳥肌がたった。

そして、しっかりお願いしてしまった。「水が正常に使えますようにと・・・」

何とか流星群でも来ていたのかな~。



さて~
我が家に救世主がやってまいりました~
そう!電気ケトル君と、コンセント君です。
赴任4ヶ月にして、ようやく買うにいたりました。炭の10倍くらい早くお湯が沸きます。おかげで、朝、暖かいお茶が飲めます。幸せなことです。発明した人ありがとう。


ちなみに、ケトル君が乗っているのは、0円の棚です。
発明者は私です。




そして、最近、「立ち入り禁止お宅」的な評判が立ちつつある我が家。
幾人かの同期隊員のおたくにお邪魔させてもらい、「素敵なお家」のイメージが膨らんできた私は、我が家革命を決意しました。


どうぞ、ご覧ください。

BEFORE:大洪水事件のため、全滅した大切な資料たち。


AFTER:一週間してようやく乾いてくれた。
      これで、思う存分、筋トレと、ボディパーとダンスに打ち込めます。



BEFORE:洪水事件により「ゴキブリ沼」化していた、勉強部屋。



AFTER:今では、3日間ゴキブリは出ていない。
      そして、ついにやってきたテーブル。
      快適すぎて、勉強がはかどる。
ちなみに、このテーブル。
Made in MARI。
家の周りに落ちていたレンガと、割と高かった木で、総額約200シル(230円)。




おまけ:帽子もかけられる、本棚。約0円。
隣の芝生は青く見えるもんだ。
他の人、他の土地がよく見えてしまうことってある。
田舎の人は、都会に憧れ。都会の人は、田舎暮らしにあこがれたりする。
自分の周りの人ばかりがすごい才能の持ち主であると感じることってある。
ケニアのひとたちも、日本の車や機械に憧れ、お金の援助ばかり気にすることがある。
でも、自分の心の中に資源はいくらでもある。
自分の土地の中に、素晴らしいものはたくさんある。
すべては、心一つで決まる。



つまり、何がいいたいかと言うと、我が家も悪くないですよ~
だから、皆さんいらしてください~
ということであります。







土地の豊かなケニア。立派な大木があちらこちらに力強く生きるケニア。つながりを大切にするケニア。
ケニアよ!自分のよさを生かせ~。


2010年12月14日火曜日

The Arigatoooo~ちゃん!



Kenyaに来る前から、うすうす、感ずいていたことがありました。






日本にいる時、いろんな人から聞いた話では、Kenyanは時間にルーズ、計画性がない、お金の管理ができない、陽気、などなど・・・・。






それってまるで・・・・・・






うちの家族や~ん。






そう!我が家族は、In Japanで、まるでKenyanのような家族。






決して、お金のある家とはいえないのに、むしろ・・・・・なさすぎる・・・のに、






姉・私・弟3人皆それぞれスキーに、野球に、高校、大学、語学留学、まるでいいとこの子どもたちなみのことをさせてもらってきた。






「ムリ。」とは言わず。いつも応援してくれる。






がっちりと、柱を立て、厳しい中でも、職人魂とやさしさの料理で、みんなを励まし元気を与えてる。






ケンカも多いけど、驚くほど明るい。






お金を稼ぐことの大変さ、生きる厳しさ、だけど幸せは心で創るものということを、背中で教えてくれる。






Kenyaにくるとき、まるで、ちょっとスパーに買い物行くみたいに出てきてしまったけど、






今、私はKenyaで、我が家の子どもでよかったと心から感じている。






貧しい人もたくさんいるし、お金ちょうだいといわれることもあるし、しつこいくらいにモノを売って来る人もいる。






だけど、私は、彼らの気持ちが少し分かる。






我が家で育ったからこそ、お金がないからこそ知恵がわくことや、笑顔の大切さや、心こそ大切な~んだ!ということが分かるし、言える。






早く安定した仕事について、大金を稼げば、もっと楽をさせてあげられるんだろうけど、もう少し自分と向き合い、修業して、とーやかーみたいに輝いて生きれるようになりたいと思います。








冬は必ず春となる。


頑張ろう。










いつも心に、太陽を。笑顔の花を。













プレゼントとして、娘の、満面のSmileを贈ります~







良き仲間にいつも支えられています~






Smile In The World~
















2010年12月14日~


尊敬する父よ~


Happy Birthday~


いつもARIGATOOOO ちゃん~


美しい娘より。




世界中の皆様、わたくしごとで、I’m Sorry so much~




2010年12月11日土曜日

The Busy Days~

Long Time No See You~


なんだか、いろいろ忙しくしていたようで、Blogを忘れておりました。


先日は、ケニア共和国副大統領:カロンゾ・ムシオカさんにA lot of Japanese Volunteersで訪問してきた。


が、しかし・・・・。
他の人は、しっかり取れているのに、一人だけぶれていた私。


日ごろの行いは決して悪くないのにな~。


ココで、副大統領と逢いました。これもアフリカ。

その後、ほとんどの、隊員が集まって、総会が2日間行われました。
素晴らしい人ばかり。良きお手本が回りにたくさんいて、本当に勉強になりますIn KENYA。
最近のHARDなスケジュールで、汗をいっぱいかき、かなり素晴らしいカオリをかもし出している私の靴を、大変気に入ってくれた、調整員の愛ネコ。
分かるやつには、わかるやにゃ~。

そして、約一週間ぶりに帰ってきた我が家。
水没・・・・・・。
どうやら、故障中で、とめどなく出てくる蛇口の元栓を閉め忘れていたようで・・・・。
床の上においていた多くの本屋、資料が水の上に浮いていました、数匹のゴキブリ君たちと共に・・・。

・・・・・・。

そして、できのよい私の職場を見ようと、たいへんお疲れのところ、Nairobiから我が家に訪問してくれた同期の清水先輩。


さすが先生。文句一つ言わず、さわやかな笑顔で、水をちりとりですくい続けてくれました。


そして、こんな無残な姿に。
ありがとう。




もうすぐ、クリスマス。
あと、しっかり、活動できるのも、一週間ぐらいなので、しっかり、かっちり、頑張ろうと思います。







2010年11月28日日曜日

The Hure~Hure~ 私たち~

毎日患者さんの体温を測定していた私。

さすがにアホの私でも気がついたことがあった。

朝ということもあるけど、みんなの体温が低いこと。

半分くらいの人が、36度に達しない。

たまに、「そんなんでしっかり測れるか~」と突っ込みを入れたくなる人もいるからだけど・・・。


+私も最近低体温ぎみで、ひどいときは35,0度くらいで、朝ベットから起きるのがとても辛い。

ということで、インターネットという現代の科学の功績を使って調べた。



HIV陽性者にとって、免疫力をいかに保つかということが一番の課題になってくる。

昔から、健康的なこととそうじゃないことは、本能で分かってしまう私の勘は正しかった。


低体温は、免疫低下につながる。また、栄養を吸収しにくく、不眠・食欲不振・疲れさすさなどにつながる。

改善のためには、適度な運動。栄養バランス。体を温める食品をとること。

しかし、コレは日本の人向けの情報。

体温測定をしていると、体温計をわきの下で挟めないほど、痩せている人が結構いる。

彼らの、一日の仕事量や、歩く量からいって適度すぎる運動はしている。


問題は明らかに栄養。体を温め、安く、手軽にそしてたくさん食べられるものを探さなければ。



そして、人間の功績、インターネットにによって、低体温→免疫を調べているうちに→Smileというものにたどり着いた。


笑うことは、免疫力を向上させ、やる気を生み出し、その上、周りまで明るくする。


何度も書くけど、HIVは免疫との勝負だ。社会的な偏見との勝負でもあるけど。


薬や、免疫低下に伴って発症する病気の治療も大切だけど、

一番大事なのは、栄養と、免疫力を保つための生活。


免疫と気持ち的なものが大きく付きまとうHIVと戦うために、笑顔ほど強い武器はない。

その上、Smile is free!



そして、人類の功績インターネットは、低体温→免疫→Smile→ノーマン・カズンズ(笑うことで難病を克服した人)→D・カーネギー(本『人を動かす』などの著者)→心動かされる名言集というように私を導いてくれた。

そして、病院に来る人のために何かできないかと調べ始めたはずなのに、いつの間にか、ものすごく自分が励まされてしまった。


なので、いくつか紹介したい。

心動かされる名言集
http://www.youtube.com/watch?v=amzSS992jII

それでもあきらめなかった偉人たち
http://www.youtube.com/watch?v=UbzxUdp3hRo&feature=related

心に響くドラえもん名言集
http://www.youtube.com/watch?v=owo7OofaRB0

水戸黄門幻の4番
http://www.youtube.com/watch?v=8RcjTxelkIE

いいblog
http://yume-warld.seesaa.net/category/6123334-1.html


すごい人はいっぱいいる。いい言葉もいっぱいある。

それらから、元気をもらい今を元気に生きれたら、自分の心を少しでも熱く変えていけたら、この世の中も少しは変わっていくかも知れない。

人類の功績インターネットによって、励まされた私であった。

皆さんもよければ、励まされてみてください~



The With Jananese~

本日は、早川さんのところにVisitersが来てくれたため、Siayaツア~。

ということで、今日は観光者気分で、Siayaを堪能し、写真を取り捲った。



登山するとは知らず、ラフにサンダルで出かけてしまった私。

同じ道を同じように歩いても、Kenyanの足は、汚れが目立たない。


こら~と思うこともありますが、後で写真に納まった子どもたちを見ると、やはり何か嬉しくなる。



ケニアの未来を見つめる青年?


私の顔に負けない大きさの果物。



日本のテクノロジーにSiayaの自然が勝った瞬間。




写真好きの日本人と、それに付き合わされる、Kenya人。





まだまだ、私のSiayaでの道は、続く・・・・・・。


同じく国の人がいるって、言葉がしっかり通じるって心強い。
だけど、それは、Kenyanも、私に対して抱いてることなんだろうな~
まだまだ、Kenyanへの道は果てしない~

2010年11月27日土曜日

The NO.1 in the WORLD!

昨日まで、水がしばらく出ていなかったので、今日でケニア最高記録の6日目に突入するか!と思われましたが、今日は恵みの水が出て、シャワーあびれた~と思ったら、今度は、水道故障により水が止まらないという極端な我が家。

その上、停電、ネットもプツプツ状態ということで、7時半に就寝。しかし、起きたのは朝8時というなかなかの生活をおくっております今日この頃。


そして、先日二日連続で、直撃しました~ちょっと臭いウンが~天から~
どうやら、幸運がめぐってきたようです。ついてる~。


このウンのおかげか、活動のヒントをもらおうとちょうど連絡をとってみようと思っていた、医療サービスについて研究しているJICA専門家の方と、日本からインターンで来ているお医者さんたちが、SIAYAにやってきた。


とにかく、探せば探すほど出てくる、我がCCCの素晴らしい資料を皆にばれないように、写真に取りまくっていたところ。
同僚から、お前の兄弟が来てるけど、挨拶しなくていいのか?といわれ行って見ると、今、まさに連絡をとろうと思っていた人がそこにいたので、驚いた。



その上、ちょうどそろそろお肉が食べたいな~と思っていたところ。
ちょうどお昼の時間!ということで、鶏肉定食(Chickin & Ugari)をおごってもらい。



そのあと、コミュニティーに一緒に連れて行ってもらい、ありがたき情報をたくさんゲットできた。


本当にありがたし。



そして・・・・・。


いろんな国や、ケニア国内のいろんな病院を知っている彼らは、口をそろえて言っていた。

「SIAYAはすごい、活気と可能性を感じる。」
「こんなに、大きなPSC(HIV/AIDSのPatient Supprt Center)は見たことがないし、あんなにたくさんの患者さんが来るPSCは初めてだ。たぶんケニアで一番だろう。患者がたくさん来ているということは、サービスがしっかりしているということだ。ケニアは今、エイズケアに関しては、アフリカで最先端で、世界の中でもHIVに一番力を入れいているのがアフリカだから、そのケニアで一番ということは、世界一じゃない!」

「CBO(Community Based Organization)などの住人によるグループもすごいたくさんあるみたいだし、それもケニアで一番くらいなんじゃないかな~。」



・・・・。ケ・ケ・ケニア1ですか~せ、せ、世界一ですか~。


スキーで、NO.1になれなかった私は、ココに来て、

立派な配属先選手権NO.1の座を手にしたようです。


なんもいえね~



そんな金メダルを手にした私の心境としては、

「なぜ、そこに私が~。」
完璧に手違いとしか思えないような状況ですか、エリートがそろえば、下が見えなくなるもんです。

だから、アホも一人ぐらいは必要だ。

おかげで、この素晴らしい病院に学びながら、病院の外のコミュニティーに力を入れていこうという決意ができました。


ありがたし~


やはり、私ついてるな~

2010年11月22日月曜日

The Religion~

今日、ケニアのMARIに会った。

一番右がMARIなのは、知ってると思いますが、左の二人のどちらがもう一人のMARIだと思います?


真ん中のおっちゃんです。ちなみに仏教徒。

左から、ドルフィン・MARI・MARI。




たまたま、出会ったMARIとたまたま宗教の話になった。



私はケニアに来て、宗教に対しての価値観が変わった気がする。


ケニアは、約40%がプロテスタント、約30%がカトリック、あと原始宗教なども多く、イスラム教徒も結構目にする。

いろんな宗教が混在しているが、とにかく、ほとんどの人が、日曜日の午前中は教会へ行く。

日曜日は、あちらこちらから、ゴスペルが聞こえてくる。


みんなと話していても、「結婚してるのか?」という質問の次くらいに「ドコの教会に言ってるの?」という質問がランクインする。


大体の宗教の話の流れは、

Kenyan「ドコの教会行ってるの?」
私「教会には一度も行ったことがない」
K「え~。今度連れてってあげるよ。」
私「私は仏教徒だ。それに、多くの日本人は無宗教だ。」
K「じゃー何の神を信じるの?」
私「彼らは、状況によって神を信じたり、先祖を信じたり。仏を信じたりする。」
K「ドコでお祈りするの?」
私「たまにお寺に行ったりもするけど、家でする人もいるし。お墓参りはたまにするけど、それ以外のときはしない人も多い。」

K「(苦笑い)」
・・・・・・。

いつも大体こんな感じになる。

彼らと宗教の話をするのは、面白いけど、なかなか難しい。

なぜなら、彼らにとって神のいない世界は、考えも着かないことで、何かの宗教を持っているのは当たり前で、ミーティングとかご飯の前後にはお祈りをすることが当たり前の習慣になっているから。

何か親切をしてあげると「God Bless you!(神のご加護を)」といわれるし。



日本で、何か特定の宗教を持っていると、勧誘されるとか、怪しいとか、感じる人が多かったように感るけど、それは、世界の中では、かなりの少数派な考えなんだな~と身をもって感じる。


自分が何を信じ、それはどんなものなのかということを、説明できないということは、きっと恥ずかしいことなんだと、ケニアに来て思った。


勉強するべきことだとは思うけど今のとこ私は、キリスト教のことはよく分からない。しかし、仲のいい同僚に聞くところによれば、アフリカはお金もないし、雨も降らないこともあるし、自分たちだけの力じゃどうにもならないことがたくさんある。だから、神を信じるしかない。神を信じ、慈悲で人に接し、神に祈れば、神のご加護がある。ということである。

確かにな~と思った。コミュニティー活動とか、いろんな場面で驚くほどボランティア精神を持った人がたくさんいるのは、そんな考えが根底にあるからだろう。
そして、自分の力で今の現状を変えていこうと考えている人が少ないことも。



みんなの考え方やケニアの文化で生きてみて、キリスト教も素晴らしいな。と思う。イスラム教や他の宗教については、よく分からないけど、たぶんどの宗教も、人々のよりよい暮らし、平和、幸福のためにあるんじゃないかな。



どの宗教がよいとか悪いとかではなく、一度の人生を信念を持って生きていくこと。お金とか環境とかで幸か不幸かが決まるのではなく、自分の心で決まるということ。親孝行していくこと。など私も私の宗教観をしっかり話せるようにならなければいけないし(ENGLISHで!)、人々の暮らしを知る上で相手のことも受け入れ、宗教や国とかを超えて、人と人の心と心の関係を築いていきたい。



最近活動の発展はあまりしていないが、私という人間がケニアに来て、つたない英語で相手と話をするだけで、文化のこと宗教のこといろんなことを知る機会を与えられているということも、ケニアに私が来た意義なんだと感じる。


神が当たり前、日本人は空手マスター、日本は畑や仕事はすべて機械でお金にあふれている、と思い込んでいる彼らに、本当はね~~と日本を語れるのも、違う宗教観を話せるのも、ケニアの良さを伝えられるのも私の役目の一つ。


どんな宗教、宗教あるなしにかかわらず、苦しい時や何かに悩むことは誰にでもあると思う。そんな時、それをどう乗り越えていくのか、心に幸せを作り上げていくのか、そして、どう励ましていけるのか、どっちに転がるにしても、たった一度の自分の人生。その一人ひとりがどう生きるかによって、社会は変わっていく。


皆さんも、考えてみてください。宗教~

2010年11月21日日曜日

The FRIEND!

本日の、Dinnerは、ばっけ(ふきのとう)の佃煮のチャーハン。

先日家から届いた、父と母の汗と涙の結晶である、このばっけの佃煮やばっけ味噌たち。

ドコで食べても、うますぎる。

そして、ケニアで味わったこのチャーハンの味は、きっと一生忘れないだろう。




ココ最近、活動について、よく考える。

日本にいる時、援助とか、支援とか、アフリカと言ったら、すごいところに行くような気になっていた。



だけど、援助とか、支援とか、何かをするとか、ボランティアとか、なんかそんなご立派なもんじゃない。というか、ご立派である必要がないと感じている。


彼らは、彼らが経験してきた歴史の中で、今の文化に至り、今の形を知恵を出し合い助け合って、作りあげてきたわけで、私に偉そうにいえることなんて何もない。



むしろ、コミュニティーとか、助け合いの文化は、見習いたいと思うことばかり。見習いたい人ばかり。


ケニアで、一人暮らしをしているわけだけど、東京で一人暮らしていた頃より、よっぽど暮らしやすい。


人は教え、教えられ、助け、助けられる対等な立場。それが支え合って生きるということなのだと思う。



かっこつけて考える必要はない。




20年後30年後につながる活動はどうやったらできるのだろうか。


だだ、友になり、対等な立場で考えたとき、初めて分かるんだと思う。エイズのことが問題だとすれば、それは症状によって、不安によって、Stigmaによって、自分らしさを失ってしまうことじゃないかな。


そして、その人らしさとは何なのか、何がその人を励ませるのか、と言うことは、援助者には分からない。対等な仲間、共に考える中に答えはある。


だから、何かをしようとか、あせって考える必要はないと最近は開き直ることにした。とにかく、気取らず、私らしいアホさを発揮し、友をたくさん作っていくことが何よりも大切。


と言うより、かっこよく物事をこなす器じゃないので、アホを生かし、笑顔でごまかし、仲間を増やしていくことしか、活動の糸口が見つからない。





THE ONLY ONE!

私は、日本人初の~
ケニアで、だだ一人の~
ケニア拳法連盟に登録した日本人になりました。
コーチが嬉しそうに私に伝えてくれたこの事実。
そりゃ、ケニアに来て、拳法だの空手だの始める変わり者は、私ぐらいしかいないでしょ~よ。
最近、ケニアで新しく施行されたNEW憲法により、若者活動を支援しようというものが加わった用で、うちの空手、拳法教室も、しっかりコーチを決め、登録し、国からサポートしてもらおう!とかなりしっかりした教室になってきた。
そして、今日は、なんと昇級試験。
最近、疲れてあまりいけていなかった私、しかし今日は絶対に来い!そして、家でしっかり練習して来い!と皆に念をおされ、昨日の夜、必死に家具の一切ない広々とした我が家で練習し、挑んだ今日。

たくさんの観客ご臨席、Siaya県Youthスポーツ省のBOSSもご臨席のもと、緊迫した空気で、試験はスタートした。



明らかに、私より、まじめに練習に励んでいた、青年たちは、緊張のため、型を忘れまくり、多くの青年たちが、散々なことになっていた。
そして、私の番・・・・・。

ケニア人から、空手や柔道、拳法は国民全員ができるもの。と思われている日本からやってきて、ケニアで、それを習っている、どう考えてもおかしすぎる状況で、大勢のケニア人の注目をあび、精一杯のパフォーマンスをする私。





そして、見事、オレンジベルト獲得~。
今日からは、もうビギナーではない。
プレーヤーだ!
と言われた。
ケニアで、私は、拳法マスターをどうやら目指すことになるらしい。
だけど、久しぶりに感じた、爽快な緊張感。
やはり、たまらなくおもしろい。


なんか不思議な感じで、ただの空手好きの集まりだったものが、しっかり形になり、青年たちのいろんな面を見せてくれるこの教室。そして、憲法改正により、変化するケニアを肌で感じられるこの教室。国とか、性別とかを超えて、対等な立場で、切磋琢磨できるこの教室。
私にとって、そしてこれからのエイズ対策の活動にも、とても大切なものになって来るだろう。
思い切って、『日本人初ケニアで黒帯を取った女』という地位を目指そうと思う。