本日の、Dinnerは、ばっけ(ふきのとう)の佃煮のチャーハン。
先日家から届いた、父と母の汗と涙の結晶である、このばっけの佃煮やばっけ味噌たち。
ドコで食べても、うますぎる。
そして、ケニアで味わったこのチャーハンの味は、きっと一生忘れないだろう。
ココ最近、活動について、よく考える。
日本にいる時、援助とか、支援とか、アフリカと言ったら、すごいところに行くような気になっていた。
だけど、援助とか、支援とか、何かをするとか、ボランティアとか、なんかそんなご立派なもんじゃない。というか、ご立派である必要がないと感じている。
彼らは、彼らが経験してきた歴史の中で、今の文化に至り、今の形を知恵を出し合い助け合って、作りあげてきたわけで、私に偉そうにいえることなんて何もない。
むしろ、コミュニティーとか、助け合いの文化は、見習いたいと思うことばかり。見習いたい人ばかり。
ケニアで、一人暮らしをしているわけだけど、東京で一人暮らしていた頃より、よっぽど暮らしやすい。
人は教え、教えられ、助け、助けられる対等な立場。それが支え合って生きるということなのだと思う。
かっこつけて考える必要はない。
20年後30年後につながる活動はどうやったらできるのだろうか。
だだ、友になり、対等な立場で考えたとき、初めて分かるんだと思う。エイズのことが問題だとすれば、それは症状によって、不安によって、Stigmaによって、自分らしさを失ってしまうことじゃないかな。
そして、その人らしさとは何なのか、何がその人を励ませるのか、と言うことは、援助者には分からない。対等な仲間、共に考える中に答えはある。
だから、何かをしようとか、あせって考える必要はないと最近は開き直ることにした。とにかく、気取らず、私らしいアホさを発揮し、友をたくさん作っていくことが何よりも大切。
と言うより、かっこよく物事をこなす器じゃないので、アホを生かし、笑顔でごまかし、仲間を増やしていくことしか、活動の糸口が見つからない。
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