今日、ケニアのMARIに会った。
一番右がMARIなのは、知ってると思いますが、左の二人のどちらがもう一人のMARIだと思います?
真ん中のおっちゃんです。ちなみに仏教徒。
左から、ドルフィン・MARI・MARI。
たまたま、出会ったMARIとたまたま宗教の話になった。
私はケニアに来て、宗教に対しての価値観が変わった気がする。
ケニアは、約40%がプロテスタント、約30%がカトリック、あと原始宗教なども多く、イスラム教徒も結構目にする。
いろんな宗教が混在しているが、とにかく、ほとんどの人が、日曜日の午前中は教会へ行く。
日曜日は、あちらこちらから、ゴスペルが聞こえてくる。
みんなと話していても、「結婚してるのか?」という質問の次くらいに「ドコの教会に言ってるの?」という質問がランクインする。
大体の宗教の話の流れは、
Kenyan「ドコの教会行ってるの?」
私「教会には一度も行ったことがない」
K「え~。今度連れてってあげるよ。」
私「私は仏教徒だ。それに、多くの日本人は無宗教だ。」
K「じゃー何の神を信じるの?」
私「彼らは、状況によって神を信じたり、先祖を信じたり。仏を信じたりする。」
K「ドコでお祈りするの?」
私「たまにお寺に行ったりもするけど、家でする人もいるし。お墓参りはたまにするけど、それ以外のときはしない人も多い。」
K「(苦笑い)」
・・・・・・。
いつも大体こんな感じになる。
彼らと宗教の話をするのは、面白いけど、なかなか難しい。
なぜなら、彼らにとって神のいない世界は、考えも着かないことで、何かの宗教を持っているのは当たり前で、ミーティングとかご飯の前後にはお祈りをすることが当たり前の習慣になっているから。
何か親切をしてあげると「God Bless you!(神のご加護を)」といわれるし。
日本で、何か特定の宗教を持っていると、勧誘されるとか、怪しいとか、感じる人が多かったように感るけど、それは、世界の中では、かなりの少数派な考えなんだな~と身をもって感じる。
自分が何を信じ、それはどんなものなのかということを、説明できないということは、きっと恥ずかしいことなんだと、ケニアに来て思った。
勉強するべきことだとは思うけど今のとこ私は、キリスト教のことはよく分からない。しかし、仲のいい同僚に聞くところによれば、アフリカはお金もないし、雨も降らないこともあるし、自分たちだけの力じゃどうにもならないことがたくさんある。だから、神を信じるしかない。神を信じ、慈悲で人に接し、神に祈れば、神のご加護がある。ということである。
確かにな~と思った。コミュニティー活動とか、いろんな場面で驚くほどボランティア精神を持った人がたくさんいるのは、そんな考えが根底にあるからだろう。
そして、自分の力で今の現状を変えていこうと考えている人が少ないことも。
みんなの考え方やケニアの文化で生きてみて、キリスト教も素晴らしいな。と思う。イスラム教や他の宗教については、よく分からないけど、たぶんどの宗教も、人々のよりよい暮らし、平和、幸福のためにあるんじゃないかな。
どの宗教がよいとか悪いとかではなく、一度の人生を信念を持って生きていくこと。お金とか環境とかで幸か不幸かが決まるのではなく、自分の心で決まるということ。親孝行していくこと。など私も私の宗教観をしっかり話せるようにならなければいけないし(ENGLISHで!)、人々の暮らしを知る上で相手のことも受け入れ、宗教や国とかを超えて、人と人の心と心の関係を築いていきたい。
最近活動の発展はあまりしていないが、私という人間がケニアに来て、つたない英語で相手と話をするだけで、文化のこと宗教のこといろんなことを知る機会を与えられているということも、ケニアに私が来た意義なんだと感じる。
神が当たり前、日本人は空手マスター、日本は畑や仕事はすべて機械でお金にあふれている、と思い込んでいる彼らに、本当はね~~と日本を語れるのも、違う宗教観を話せるのも、ケニアの良さを伝えられるのも私の役目の一つ。
どんな宗教、宗教あるなしにかかわらず、苦しい時や何かに悩むことは誰にでもあると思う。そんな時、それをどう乗り越えていくのか、心に幸せを作り上げていくのか、そして、どう励ましていけるのか、どっちに転がるにしても、たった一度の自分の人生。その一人ひとりがどう生きるかによって、社会は変わっていく。
皆さんも、考えてみてください。宗教~
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