日曜の朝っパラから、突然電話が鳴った。
日本の姉だった。日本はお昼だからね・・・・。
内容は忘れた。
そして、次の瞬間、もう一本電話が鳴った。
久しぶりの登場。サッカーコーチのジョージ君だった。
そう、自分の教えている高校のサッカー部に『GMK:Geoge Mari Kato』という名前をつけてしまった変なオッサンである。(過去の記事http://marikyouwakoku.blogspot.com/2010/11/thegmk.html)
「シアヤでエイズ予防のためのサッカーイベントをやるときは手伝ってくれよ!」と赴任当初彼に伝えていたこともあり、何度も連絡を試みていたが、しばらくに間音信不通だったジョージ君。
ちなみに、予備で持ってきたいた、古っーいデジカメを半年前から彼に貸していた。
そして、そろそろ返してくれよというメールも数回送っていた。
しかし音信不通だったジョージ君。
そんな彼からの電話 at 6am・・・・・。
以下、ジョージ君 vs 寝ぼけた私。
G:どうしてもマリに伝えたいことがあって電話した。ずっと怖かったんだ。
だから何回も、教会に行ってお祈りしたんだ。だけど、怖くて・・・・。
やっぱり言えへんわ・・・・。
M:おい!こんなに早く私を起こしたんだから言え!
G:・・・・・。
うちに居候していたチームの選手がマリに借りていたカメラと共に失踪して、探したけどやつが見つからないんだ・・・・。だから、教会に行ってお祈りして、お金がたまるようにお願いしてるんだけど、まだお金はないから、弁償もできないんだ・・・・。
はい!ココで問題です。
皆さんならココでなんと答えるでしょうか~?
ちなみ私は、
M:No Problem.とりあえず、その失踪した子を探し続けろ!正直に伝えてくれてありがとう。じゃ!
と答えてみました。
別にカメラはもう別になくてもいいものだったので、いいんだけど、ジョージ君のために何を言うべきだったんかな~。
ケニアに来てそんな感じで迷うことはいっぱいある。
ケニアには何かあったらみんなでお金をカンパし合って何とかしていこう見たいな文化(ハランベー)があるせいなのか、「マリ!飴~」「どんないいものを私にくれるの~」「ランチおごって~」みたいな言葉が、冗談5割、外国人だからとりあえず言ってみたらもしかしたら何かもらえるかも的な思考5割、で普通にに投げかけられる。
これらは単なるユーモア溢れるコミュニケーションと理解するに限る。
しかし、
「大学に行きたいんだけど、あと少しお金が足りないんだ。ちょっと寄付してよ。」
「妹が病気になって入院したんだけど、費用が払えなくて困ってるんだ、何とかしてくれ。」
「何とか病院にはこれたけど帰るお金がない。バイクタクシー代を助けてよ。子供が待ってるから。」
こんなことを言われるのも日常茶飯事。
それ以外にも、都市部に行けば、道端でこどもたちに「なんかくれ!お金をくれ!」といわれることも、よくあること。
もちろん、ただお金や物をあげることはするべきではないと思う。
でも、はい!問題です。彼らに何を話す?
お金をただであげることは簡単。あげないことも簡単。でもどっちも無責任。
話を聞いて、一緒に考える?
お金を得られる活動を一緒にする?でもそう簡単にできたら苦労はしない。
本当に目の前のヒトのためになることって何?できることって何?
1年以上たって、怖いのはそんな人たちをただ「NO。」という言葉だけで片付けようとしている自分だ。
同じようなことを言っているようにも思えるけど、一人一人違う人。
何にもできずにただすれ違うだけになってしまう人もいるけど、何かできることもあるかもしれない。何かかけられる言葉があるかもしれない。
毎回毎回、とにかく悩んでいくべきだと思う。
いつも心は開いておきたいなと思う。
慣れとは、慢心とは、人間の最も恐れるべきものである。
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